自分本位が心地いい。
人生を楽しむ喫茶店マスター
株式会社BeansBitoの代表取締役で、那古野にある喫茶店「喫茶ニューポピー」のマスターでもある尾藤雅士(びとうまさし)さん。バンド活動に明け暮れた日々を経て、実家の喫茶店「ポピー」を継ぐことになった経緯や家族への想い、経営の傍ら行っている音楽活動や開業支援などについてのお話を伺いました。
目指したのはカフェではなく“喫茶店”
ー自己紹介をお願いします。(インタビュアー:miho、なる美)
尾藤雅士といいます。株式会社BeansBitouの代表取締役で「喫茶ニューポピー」のマスターです。喫茶店生まれ、喫茶店育ちの43歳*です。
*取材当時(2022年4月)
ー喫茶店生まれ、喫茶店育ちなんですね!
そうそう。父が喫茶店もやりながら、喫茶店に物も卸していたので、小さい頃はよく助手席に乗っていろんな喫茶店の集金とか納品に連れていかれました。
ーまさに喫茶店で育ってきたんですね!
父と2人で行動するのって母とはちょっと違って緊張感があるんですよね。自分が父親になってすごく納得できるんですけど、平日の夜は全然遊んでくれないし、口数が少なくて、クールに見えていたので。だけど、小さい頃はその父に誘ってもらうのをいつも待っていたんですよね。
ーそうやって誘ってもらうのが嬉しかったんですね。
いろんな喫茶店の定休日に連れて行ってもらってたんですけど、お店って休みの日は自動ドアが閉まっているので、ドアを開けるのがめちゃくちゃ大変でした。ドアを開けて入ると、真っ暗な店内で油とヤニの匂いがすごいんですよね。で、一歩踏み込むと、当時年長さんか1年生だったので、足もちっちゃいから、床の油と足がひっつく感じがして。その感じがすごく怖いんだけど、何かちょっと“ワクワク”してて、あの雰囲気が好きだったなぁ。今そのままそれを再現するのは良くないけど、“あの雰囲気”を残しつつ清潔感のある喫茶店ができたらいいなということで、株式会社BeansBitouを作りました。カフェじゃなく、喫茶店らしいお店をね。
ーなるほど。昔ながらの喫茶店の雰囲気を感じられて、居心地良くて素敵だな〜と思っていました。そういう背景があったんですね!
*本記事の取材場所は「喫茶 ニューポーピー」
実は最初に出したのはここではなくて、「喫茶神戸館」というお店でした。
ー別のお店があったんですね。
起業して最初の約8年をそこで過ごしたんですが、“やりたいこと”と“やってること”がどんどん乖離していったんです。伏見のオフィス街の真ん中にあって、12時に「よーいどん」で、色んな会社からお昼ご飯を食べに来てくれるんですけど、丁寧にコーヒー淹れるというよりは、ドリンクバーの方が求められたりして・・・。
ースピードが求められた感じですね…。
そう。「食堂みたいになっちゃったな」と思っていました。焙煎の卸しの仕事で出会ったお客さんとかと、「じゃ折角だから尾藤さんのお店でコーヒーでも」という会話になっても、「いや、僕のお店じゃなくて」と言ってしまう自分がいたりと、なんとなくお客さんを連れて来づらくなってたんです。自分のお店なのに自分らしくないお店になってると感じていました。日進市の実家にもう一か所焙煎小屋があって、そこは自分の部屋みたいになっているので、自分を知ってもらうためにそこまで来てもらったりしました。「何かこれってちょっと矛盾してるな」と思いながらやっていましたね。
ー自分らしくないお店になってきちゃったんですね…。
「やりたいことがやれなくなっちゃったのって、何でだろうな…」と考えていました。でも、8年やってきた経験もあるし、お店は続けたい…ただ、ここから10年、20年後…と考えた時に、「この場所でいいのか」とか、「この場所で何がやれるのか」とか思いながら、新しい場所を探して2年間で約20件の物件を見させてもらっていました。
ー2年間も探していたんですね。
条件はいいけど焙煎するのが駄目な所だったり、焙煎はできるんだけど、条件が駄目な所だったりでなかなか見つからなかったですが、今のお店に出会って、即決でした。他に見ていた物件で感じていた家賃相場の倍か倍以上で、だいぶ背伸びしないと入れない場所だったんですけど、「絶対ここだ」と思って!そして「喫茶ニューポピー」をオープンしました。今ではここにして良かったな、ここしかなかったなと思います。
―即決だったんですね!思い描いていた喫茶店のイメージとマッチしたんですね!
岐阜から来た祖先。運命に導かれるように・・・
それと、ちょっと面白い話なんですけど、僕“尾藤”という名字じゃないですか。尾藤って名古屋発祥じゃなくて岐阜発祥らしいんですね。岐阜で大きな庄屋さんの長男か末っ子だった人が、僕からすると大お爺さんで、「俺はこのまま農家でいられねえ!」って言って、勘当*されて出てきた先が、すぐそこの場所だったんですよ。ここから徒歩約1分の五条橋の辺りに小屋を構えて、芸人さんの世話をする商売を始めたらしいです。その後、名古屋で尾藤っていう名字が散らばっていったらしくて…運命感じちゃうじゃないですか!
*勘当(かんどう):親子の縁を切ること
ーえー!!そんな近くに尾藤さんのご先祖さまが!それは運命感じますね!!
でしょ!先祖に導かれたみたいな感じですよね。だから、ここから先は僕が何かを残していくことも考えたいし、この歴史を辿っていきたいなという気持ちもあります。
ー大お爺さんに関わる歴史を知りたいということですか?
段次郎さんというんですけど、商才がすごくあったらしくて、芸人さんの世話をする仕事で一発どころか“相当当てた”という伝説を親戚内でよく聞きます。
ーへー!!!すごい!!
大お爺さんなので、今の年配の方だったら段次郎さんのことを知ってる方がいるかもしれないと思っていますが、今のところ出会えてないんですよね。
ーそうなんですね。芸人さんっていうと、大須ですか?
そうだと思うんですけど、まだ詳しく教えてもらえる人もいなくて…。那古野のあたりを塩町(しおまち)って当時は言ってたらしいんですけど、塩町と大須の繋がりとかも聞きたいですね。
ーそうなんですね、塩町、初めて聞きました。
1軒の喫茶店から世界へ。家業を継いで良かった!
ーこの場所で「喫茶ニューポピー」が始まったのはいつ頃ですか?
3年前*ぐらいですね。会社としては今12期目です。BeansBitoが20周年を迎える前に、「喫茶ポピー」*が創業50周年になるんですよね。そういうタイミングで何か次のアクションをしたいなと思って、ちょっと色々と考えています。
*取材当時(2022年4月)「喫茶ポピー」は先代から引き継いだお店
ー50周年ってすごいですね!
すごい歴史ですよね。点と点で線を繋いでいっている感じです。これまでやってきた人からバトンをもらって、今自分が持っている状態ですが、以前より仕事の幅は広がっていると思います。
ーバトンを受け継いで、更に新たなことに挑戦しているんですね。
そうですね。バトンを受け継いだからこそできることがあるんですよね。今はコーヒーが大好きだし、喫茶店という“場”を持てることも、取引先のお店のオープンを手伝えることも嬉しいですね。コーヒーの産地にも行くので、海外でもアメリカとかヨーロッパとかじゃなくて、東ティモール、ミャンマー、インドネシアとかに行けたりと、「コーヒーと出会えたおかげだな」と思います。
ー素敵ですね。
実は自分でやろうと思ってたことは全然違って、20代はバンドで飯食おうと思ってて…(笑)。
ーバンドですか!
そうなんです。でも、家業を継いだのは「すごく有り難いことだったな」と今になって思います。同級生と飲みに行ったりすると、どっちが正解とかはないと思うんですけど、仕事に対する感覚が違いすぎて、「そんな感覚で仕事してるんだ」と思って結構びっくりします。
ー“そんな感覚”といいますと?
「とりあえず遅刻せずに行って、残業はない職場だから17時を待つ」っていう感覚ですね。それで部長をやってたりするんですよね。仕事ができる人ではあると思うんですけど、彼は「週末の家族サービスの為に月~金がある」と言ってるから、週末が表舞台なわけです。それはそれで幸せなんだったら、いいことですけど、「仕事に対する感覚が全然違うな」と思います。
ーそうですね。土日のために、月~金を頑張るという方、私の周りにもいます。
ですよね。でも、月~金の時間ってまあまあ長いじゃないですか。
ーそう思います。17時までだとしてもすごく長いですよね!一般的な流れで就職活動して、会社に入ったという人が多いからでしょうか。尾藤さんのように仕事ができるのは本当に素敵なことだと思います。
それは「ご先祖さまのおかげだな」と思います。
キックは焙煎機を点ける音・・・喫茶店ソングと映像制作
ーバンドと言っていましたが、お店の壁にも音楽系のものが色々飾ってありますね。
そうですね。バンドはずっと続けています。昔は割と時間の融通が利く仕事をしていたこともあって、ツアーに出たりとか、平日でもばんばんライブをやっていました。今でもそういったことは好きなんですけど、コロナもあって、最近は音楽を楽しむ方向性が変わりました。ライブやツアー、制作音源のレコーディングではなくて、今はレコーディングしたものを映像化するっていうことをやっています。
ー作品作りにシフトしたんですね。
当時はお金もないし、レコーディングするにもお金がかかるので本当に必死で、「この時間内で撮る」ってやってたんですが、“ちゃんと予算を組んで一つの作品を作る”という感覚に、40代になって変わりました。今は、コーヒーを焙煎する時に出る音や、コーヒーを淹れる音を録っています。
ーん?コーヒーの音を録っているんですか?
はい。ASMRという咀嚼音とかを録る機械で店内の環境音を録っています。100種類ぐらい集めて、友人がやっている東京のレコーディングスタジオに持っていって、作品を制作しています。
ー店内の音で作品を作ってるんですね!面白そうです!!
1回全部取り込んで、その音だけで曲を作っちゃうとダサいというか、狙い過ぎな感じになっちゃうんで、使えそうな音だけをピックアップして加工して作っています。
ーなるほど〜こだわりを感じます。例えばどんな感じですか?
例えばドラムの音だと、「ツッツッタッツ、ツッツッタッツ」っていうようなタップの音や、キックっていう、バスドラムの「ドン、ドン、ドン」っていう一番下にある低い音が必要なんですけど、それを喫茶店の音から探すっていうかんじです。コーヒー関連で一番低い音は焙煎機の炎を付ける時の「ボッ」ていう音なので、これをキックとして使ってみようかなというかんじで考えていくんです。でも「ボッボッ」だとちょっと輪郭がないんですよね。それで、輪郭を付けるために喫茶店の扉を閉めた時の「バタンッ」っていう音を合体させて加工すると、キックの音になるんです。
ーなんかかっこいいです!喫茶店の音だけで、音楽を作るっていう発想がすごいですね!
ベースだけは生音でやったんですけど、スネアとかタムとか金物系とかの音も全部コーヒー関連で作った曲を1年以上ずっと制作しています。今、映像を作るところまで来ています!その映像と音楽を合体させていきます。このリリースは「気合い入れてやろう」っていう感じです。
ー私も完成が楽しみです!!
あと、さらに考えていることがあります。
ーお〜!次はなんでしょうか?
後で見ていただきたいんですが、最近、ラーメン屋とかファミレスでも注文するときの伝票って、大体タブレットじゃないですか。“喫茶店の古き良き”って、やっぱり紙の伝票があることだと思うんです。でも、「ご注文お揃いですか」とこの席に持ってくるだけでも、変な考え方ですけど、約1分ぐらいの人件費がかかるんですよね。
ーそうですね。それだけで人件費かかりますよね。
そうやって紙の伝票がどんどん無くなっていくんですけど、伝票の裏って、昭和の時代には喫茶店ごとにコーヒー屋さんがポエムを載せてたんですよ。詩人に頼んでいるところもあれば、そこの社長が考えたちょっと安っぽい言葉とかが載ってるのもあったんですけど。
ー初めて聞きました!いいですね。
それを何となく記憶していたので、自分でお店をやる時は、季節ごとに変わっていくポエムを作ろうと思っていました。さらに…どうせなら…そのポエムを映像化してYOUTUBEチャンネルに上げたいなと。でも、「それを見てください!」という感じじゃなくて“知る人ぞ知る”・・・ぐらいが理想だと思っています(笑)。
ー喫茶店ポエムのYoutubeですか!おもしろすぎます!
音楽活動はそうやって続けていこうと考えています。もうすぐ出来上がるので、そうすると3曲分の“喫茶店ソング”ができるんです。
ー既にもうすぐ3曲なんですね!ある意味、古き良き文化の継承ですね。
家業と自分がやってきたことが両方やれているので、すごく楽しいですね。でも、そこの制作に経費をかけるとスタッフにも迷惑かかっちゃうので、そこは自腹でやっていくスタイルでやってます。
ーそういう取り組みって、なかなかないですよね?
今のところないと思うんですけど、ありそうな気もします。
ーサンプリング*とかはありそうですよね。(岩田)
*楽器音や自然の音を録音し、楽曲の中に組み入れる制作法。
そうですね。
ーブラジルコーヒーさんとかも、そんな雰囲気を感じます。(岩田)
確かにそうですね。 ブラジルコーヒーさんも同世代で活動していたんです。岩田さん、詳しいですね。
ーそういえば!映像担当の岩田さんは一宮にある喫茶店の息子さんです!
本場じゃないですか!!喫茶店文化は名古屋って言われがちですけど、本場は一宮なんですよね。そしたら、伝票のポエムとかも日常じゃないですか?
ーそうですね、分かります。うちも父が喫茶店のマスターだったので、夏休みとかはよくお店に連れていかれました。(岩田)
良かったですよね。バナナジュース飲ませてもらえたりとか(笑)。
ー今思うとよかったですね。うちの父は絵を書いていましたし、ブラジルコーヒーの角田さんもそうですけど、マスターは何かやっている人が多いですよね。お店の路線がはっきりしているところって、マスターが個性的だったりする気がします。(岩田)
そうそう!今時のコーヒースタンドも好きなんですけど、何か“オシャレ過ぎる…”と思うこともあります。そこが居心地いい人達もいますけど、僕は「よしっ!」って思わないと行けないっていう…。
ーわかります。清潔感があっていいんですけど、似たようなお店も多いし、“時間を過ごす”っていうかんじではない気がします。(岩田)
そうですね。似たような雰囲気の中でも違いはあるんでしょうけど、新しいお店にはその時々の流行りが投影されやすいですよね。
ーいわゆる古き良き伝統的な喫茶店は、「ずっと変わらないこと」が魅力なのかもしれないですね。
力の抜き方を知った40代
ーバンド活動は昔から熱心だったんですか?
バンドをやってた時は、憧れのバンドやギタリストがいたんですけど、「そのバンドに似てるね」と言われたくない自分もいました。でも、やっぱりなんか似ちゃうし意識しちゃうんですよね。ストイックでもないのにストイックにやろうとしたり…。
ー若さ故、というかんじでしょうか?
仕事が大変だった頃はバンドから遠のいていて、久しぶりに「またバンドをやれる」という時に、20代の頃よりも取り組み方が気楽になっていることに気付きました。「もっとハードルを下げてやればいいんだ」と。今は、リハーサルで取ったやつが「まあまあいいんじゃない?」となると、結局それが本テイクになっちゃったりします(笑)。
ーリハーサルの方が自然体な感じがでるとか?確かにちょっとゆるくなった感じですね!
でも、昔はそんなことは絶対なくて、凄く緊張感を持ってやっていました。そのせいでメンバー同士が仲悪くなっちゃったりも…。
ー力が入りすぎていたんですね。
仕事だと、色んなタスクを同時に走らせていくから、「これはこんな感じでok!」ということが多々あります。その感覚を持ってバンドに向き合うとすごくうまくいくようになったんです。特にアマチュアバンドマンって「誰がそんな細かいところまで気にするの?」ということを、気にするから、「そんなところ誰も聞いてねーし、大丈夫!」と思えるようになりました。
ー仕事の影響もあって、バンドもゆるく考えられるようになったんですね。
そうです。コーヒーでも、今も「シャカシャカ」と焙煎の音がしてるんですけど、まだ焙煎を始めたばっかりだから音が重いんですよ。まだ生なんで。
ー焙煎の経過で音が変わるんですか??
そう。水分が抜けていくと、もうちょっと軽い音になっていくんですけど、そんなことって誰も気づかないじゃないですか。
ーそうですね。プロしか気にしてないかと…。
そうですよね。それを「一杯いくらのコーヒーです」って出す時に全面に打ち出されたとしたら、“居心地が悪い喫茶店”にしかならないじゃないですか。
ーそんなにこだわりが強い店だと「私、来ちゃだめなのかな…」となりそうです。
ですよね。コーヒー好きのピラミッドの、「上の層の人だけ来てください」という喫茶店になっちゃいますよね。そうじゃなくて、「下の層の人も来てください」という気持ちでいることも、商売するには必要なことですよね。そういう感覚でバンドができるようになった感じです。
ーなるほど!こだわりを前面に打ち出さず、より親しみやすい感じですね!コーヒーとの生活がバンドに活かされているんですね。
要は“年取って丸くなった”っていうことなんですけど、きっとね(笑)。
ー力をいいかんじに抜けるようになったんですね。