人生は「ないものねだりの連続」
人や地域と向き合う、まとめない監督
作家活動や映像制作、映画監督、専門学校の非常勤講師など幅広く活躍している岩田さん。「なるべく嘘をつきたくない」と言う岩田さんの好きな作風や、仕事に関する判断軸などについて伺いました。
岩田 隼之介さんウェブサイト
「やりたいことが、それしかなかった」消去法で決めた進路
ー自己紹介をお願いします。
岩田隼之介といいます。ビデオグラファーと名乗っています。日本語で言うと映像作家という感じです。撮影から編集、企画まで全部やって、映像制作をすることを仕事にしています。そのかたわら、映画製作や映画の監督もしています。これは仕事といえば仕事ですが、自分の創作の一部という言い方もできるかなと思います。年齢は32歳です。
ーえ?
え?32歳です。
ーえ、同世代!もっと年上かと思っていました・・・。落ち着いている印象なので。
そうですか。自慢じゃなくて、まだ大学生とか言われることもあるので、むしろそう言われてよかったです。
ー(笑)。映像に興味を持たれたのは、いつ頃からですか?
もともと映画が好きで、将来は映画制作をしたいと考えていたので、映画制作の学校に行って学び始めました。といっても、当時は映像を仕事にしようとは全く思っておらず、自分のできる範囲内で制作していました。ちなみに僕、これまでちゃんと就職したことないんです。卒業後は映画館でアルバイトしながら映画制作をしていました。だらだらと好きなことだけをしていた、いわば“ロクデナシ”ですね。
ーロクデナシだなんて!
ただ、その活動の中でもさまざまな出会いがあり、「こんな映像作れる?」とお声がけいただくことをきっかけに少しずつ仕事が増え、今につながっています。
ーそうなんですね。どんな映画がお好きだったのですか?
映画制作を志し始めたのが18歳だったのですが、その頃好きだったのが『ブギーナイツ』です。知っていますか?
ーうーん・・・すみません、知らないです。
アダルトビデオの業界をポップかつキャッチーに描いている、わりと有名な作品です。かつて、ポルノ映画にはちゃんと物語性があり、監督もスタッフも存在し、かつフィルムで制作されていた時代がありました。舞台はちょうど、その時代からVHS(家庭用ビデオ)に移行する転換期です。プロ意識やプライドを持ってポルノ映画作りをしていた人が押し寄せられ、業界からはみ出していくお話です。歴史という観点でも面白く、そこまで卑猥ではないので、ぜひ観ていただきたいですね。サブスクとかにもあると思います。
ーなるほど。岩田さんはどんなジャンルがお好きなんですか?
当時から群像劇*が好きでした。たくさんの登場人物がつながることで物語が形になっていくスタイルが好きで、今もそのような作品作りを行っています。
*群像劇:主人公にスポットを当てるのではなく、登場人物一人ひとりにスポットを当て、それらが巻き起こすドラマを描く作品のこと
ーそうなんですね。映画を作ろうと思ったきっかけはありますか?
きっかけというきっかけはないようなものなんですが、18歳の時にやりたいことがそれくらいしかなかったというのが本音です。自分の中で興味のあるものから考えて、消去法的に一番やりたいと思ったのが映画制作だったんです。
ー消去法ですか!
そうですね。映画作りって、知らない側からすると何から始めるかわからないですよね。まずはそれを知りたいと思ったのがきっかけでした。ただ「作ってみたいな」と思っていただけで、当時は5年後とか、キャリア的なことも一切考えていませんでした。僕はもともと「〇〇になる!」みたいな大きな夢や野望のあるタイプの人間ではないので、とりあえずやってみよう、という気持ちで始めました。
幼少期から興味があった「端っこ」や「その他大勢」
ー映画制作の世界って、ご両親の理解を得られましたか?進路やキャリアでご両親に影響されたことはありますか?
うーん、あまり「ちゃんとしなさい」というタイプの親ではなかったですし、よい意味で放任主義というか、好きなことをさせてもらえていました。好きなことをやれとも、やるなとも言われなかったので、「ご自由に」みたいな感じでしたね。
ただ、倫理観や道徳観的なものは重じていたので、悪いことをしたらちゃんと怒られていましたよ。なので、変に非行に走ることはなかったです。両親は喫茶店を経営していたので、もしかすると自営業的な生き方はそこの影響も大きいと思いますね。
ー確かに、ご両親が自営業だと岩田さんの生き方も理解してもらえそうですね。
あ、すっかり忘れていましたが、映画が好きになったのは母の影響です。母は昔からアメリカ映画や香港映画などを家でよく見ていましたね。当時僕は小学生で、内容はさっぱり理解できませんでしたが、色んな映画を一緒に見ていた記憶はあります。
ーそんなお母さんの影響もあるかもしれないということですね。
両親ともに美術や絵画も好きで、よく描いていました。今振り返れば、芸術とかそういったものに近しい家庭だったかな、と思います。
ー岩田さん、部活は何かされてましたか?
中学は『テニスの王子様』が流行っていた影響でテニス部、高校は器械体操部に所属していました。小さい頃は引っ込み思案だったので、町内会などの集まりもなるべく行かないようにしていました。他人と会うよりも、家でいる方が好きな子でしたね。これは、自分自身の作風にも現れているなと思います。
ーどんな風に作風に表れているんでしょうか?
自分は集団の中心や先頭にいたことはこれまでほとんどなく、それを自認しているからこそ、誰か一人の視点で描かれている作品はあまり心に刺さらないんですよね。言い方は悪いですけど、いわゆる「端っこ」にいる人や「その他大勢」の人に幼少期から興味があったので、主人公にフォーカスを当てるのではなく、色んな人の視点で描く群像劇が好きなんだと思います。
ーアベンジャーズみたいなヒーローものよりも、一人ひとりにフォーカスを当てたいということですね。
“自分が作る”という観点であれば、そうですね。ただ、アベンジャーズは大好きです。
ーあら?そうなんですね!
アベンジャーズはただ単にヒーローものというだけではなく、作品によってさまざまなジェンダーや人種のヒーローたちが出てくるじゃないですか。ある意味、その他大勢にフォーカスを当てているんですよね。
ーなるほど!多様なヒーローが描かれているんですね!なんか、勉強になります。