優しいけど厳しく、厳しいけど優しいー。スペインとコーヒーを愛する料理人、「ラ・マンチャ」オーナーシェフの波入 重樹(なみいり しげき)さん。自身のこだわりを追求しながら試行錯誤を続けていること、今後の人生観などについて伺いました。
ラ・マンチャWebサイト

40年来の常連さんも通う、スペイン料理店の若きオーナーシェフ。

―波入さん、まずは自己紹介をお願いいたします

今年ちょうど、30歳です。名古屋市瑞穂区八事にある「スペイン料理 ラ・マンチャ」の2代目のオーナーシェフで、代替わりして5年目になりました。このお店は1978年の創業から43年目で、ご縁があって、このお店にお世話になることになりました 。

創業からすごく長いんですね。ずっとこの場所でやっていらっしゃるんですか?

そうです。95年頃に、「もっとカジュアルなイメージでやろう」と、店を少し狭くしてカウンターも作ったと聞いています。ただ、先代がいつ何をしたかは情報も写真も残っていないので、正確なことは誰も知らなくて。常連さんの話を聞いてつなぎ合わせると、間違いないですね(笑)

では、その頃からの常連さんも結構いるんですか?

長い人だと、もう40年通ってくれています。若い頃にカップルで来ていた人達が結婚して子どもが生まれて、今度は子どもがくるようになって・・・。その子どもも結婚して、3世代目まで来てくれたということもあります 。最近も、孫を連れてきた方が「実は40年前に来ていたんだよ」と話をしてくれました。

―“ご縁で”とのことですが、どのようにしてお店と出会ったんですか?

私が南山大学のスペインラテンアメリカ学科にいた頃に、アルバイトとして働いていた友人から紹介してもらったことがきっかけです。そこで先代に初めてお会いして、お付き合いが始まりました。

先代とは特に、血縁関係があるわけではないんですね。大学を卒業後に、就職されたんですか?

はい、そうです。大学の先生たちには色々言われましたけど、一般企業に就職するつもりはあまりなかったので、就職活動は一切していません。掛け持ちで違うアルバイトをやっていたこともあって、何の疑問もなく、そのままフリーターのような形でここにお世話になることが決まりました。

「やりたい」と思った理由は、先代の人柄に惚れたから。

―出会った大学生当時、先代はどんな印象でしたか?

“厳しくも優しい人”ですかね。厳しく接していただいていたんですけど、怒られること自体は当たり前に感じていて。「自分ができないことに対して言ってくださっている」という意識があったからだと思います。最初の頃は、“こんなに優しくしてくれるんだ”と思ったことも多くありました。ただ、代替わりを決めてからはスイッチが入ったようで、バイトに対しての扱いとはガラッと変わりましたね。「修行だで頑張れよ。」という感じというか。先代もその奥さんも、すごく人情味に溢れ

先代のどんな人柄に惚れたんですか?

具体的に?(笑)どうなんでしょうねー。なんかこう、「かっこいいな」と思った瞬間があって。満席の店で一緒に仕事をしている時の何でもない動きを見て、「あ、この人かっこいいな」と漠然と感じたんですよね。その時の記憶は、強烈に残っています。そんな先代の姿を見て、「この人だったらついていきたいなあ」と感じました。

何でもない動きから、醸し出されるものがあったんですね。

キッチンにいてもお客さんの前でも、無意識にされている色々な行動を見て、「この人の仕事の仕方ってすごいなあ」と思ったんですよね。どんな風に考えて店を経営しているかは、一つ一つの動きに出てくる。でも、先代を神みたいに崇めいてるわけではなくて(笑)。もちろん一緒にやっていると、「これは違うな」と感じるところも出てきます。そこもまた人間的というか、先代の魅力なんだろうな、と思っています。「あー、この人のこんなところはダメだけど、それも楽しいんだよなあ。」って。完璧な人間なんて、絶対にいないですからね。

そんなところも含めて、先代は愛されるお店を築いたんですね。

スペインに通い、スペイン料理を築いてきた先代。

先代について、もう少し。どんな方か、お店を始められたエピソードについて聞かせてください。

先代はすごく面白い方です。先代の親も料理関係の仕事をしていたようで、料理が身近にあったそうですよ。中京大学の学生だった頃、山登りをしていて、卒業したらヨーロッパの山に行くためにお金を貯めていたそうです。けれど、卒業する直前になって、日本の山で滑落して死にかけて、山登りができなくなってしまったようで。

せっかく手元にお金があるから、「旅でもしようか」と思ったそうです。当時は、飛行機なんて高くて乗れなかったような時代。日本からヨーロッパへ行く定番のルートがあり、先代もそのルートで行っていたようです。横浜港からソ連(ロシア)に行き、シベリア鉄道で北欧に入り、北欧から南に下ってスペイン・ポルトガルに辿り着いたー。お金もそこまでないから、途中で働きながら旅をしていたそうですが、最終的に色々なところを回った中で、「スペインがすごくしっくりきた」そうなんです。料理も口に合っていたので、「料理屋で勉強がしたい!」と大阪の店で修行をし、ここで自分のお店を始めたということです。当時はスペイン料理屋そのものが少なく、東京と大阪に数軒あったくらいだったようです。

一一般的な60代の方と比べると、かなり珍しい人生を送ってこられた方なんですね。面白いです。

今の時代にはない話ですごく面白いですよね。先代はそこから何度も、スペインに通っていたようです。その当時、パエリアの鍋も日本に売っていなかったですしね。

それこそ、食材もないですよね?

そう、ないです。レシピもないので、スペインへ行って、食べて、本を買って…そんな風にするしか、スペイン料理を作れなかった時代です。それをここまで築き上げてきたというのは、本当にすごいと思います。

26歳の若者にお店を任せようと思った先代も、それを受けた波入さんも、相当な覚悟が必要だったのではないですか?

どうなんでしょうね。先代がどれくらい考えたかはあまり聞いていないのですが、先代がお店を始めたタイミングも、26歳の時だったようで。今の時代だからこそ、20代で独立するって難しく聞こえるけど、当時は当たり前だったようですね。先代が26歳でお店を始めたから、自分が同じ年に代替わりできるのが一番いいなあと思いました。自分が26歳になる頃、先代はちょうど65歳になる年。定年を迎えてもらえるし、店もまだ元気なタイミングなので、「この年にしよう!」と決めました。こうしたことはご縁なので、大切にするようにしています。

具体的なきっかけがあったわけではないんですね。

そうですね。先代は「自分がしっかり働けていて、店にお客さんが来てくれている状態で代替わりがしたい」と言ってくれました。「店が落ち込んだ時に代替わりするっていうんじゃ、お前が立て直すのが大変だろ」って。こういうところ、経営者って感じですよね。

Shigeki Namiiri Interview

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