「With-コロナ」変化を受け入れ、適応する

なる美 Sさんは、職業的に文化的なものとかなり関わってきますが、どうですか?

S そうですね。僕自身も映画を発表するタイミングでコロナ禍となってしまい、上映会が中止になりました。周りに演劇や歌をやっている人がいますが、“配信”という方法がすごく普及したなと感じます。あらゆることを配信で見る時代になっていきましたね。

miho 劇場でのコロナ集団感染とかもよくニュースになっていましたし、延期や中止が多かったですよね。

S 作品を観るために施設に行く道中、これから観るものに思いを馳せたりとか、出た後に風景が変わって見えるとか、そういうことを含めて“鑑賞”だと思っているので、それが全部スマホの画面となってしまうのは、あまり良くないと感じています。正直なところ、自分も配信の映像は観る気がしないですね。その変化は今も続いているような気がするので、なるべく元に戻ってほしいなという思いがあります。

miho 配信だといつでも自分のタイミングで止められるし、何回でも戻せるし、途中でラインの通知を見てしまったり、他事に気を取られてしまったりと、映像に没頭しにくい感じはしますね…。

S あとは、映画の脚本を書く時、その登場人物はマスクをするのかしないのかという問題もあるんです。すごく難しい問題です。コロナのある世界を作るのか、ない世界を作るのかという選択なんですけど、ない世界を作っちゃうと、現実の自分たちと繋がる機会を失ってしまうんですね。観ているお客さんと映画のリアリティを繋ぐ世界がなくなってしまうので、困るなと思いつつ。

miho なるほど。面白い裏話ですね。

S 役者がずっとマスクをして話しているシーンは、現代性はあるけども、貧しい画面になってしまうし、あまりにもメッセージが前面に出すぎちゃっていて良くないなとも思います。今後映画を作っていく中で、コロナをどう取り扱っていくのか、あらゆるお話を書く人達は向き合っていかなければいけない問題だと思います。

白川 Sさんのような仕事をしている方々は、こういう状況(コロナ禍)に対して「なんで?」っていう気持ちの葛藤があったり、大っぴらには言えないけど内面的な負の感情もあったりとか、自分とは違う感情があるのかな?と思うんですけど、どうですか?

S そうですね…。割と普通に受け入れてしまっているのが正直なところですね。舞台で演技する方々とは違って、カメラを使う仕事は、“現実をどう切り取るか”という表現の仕方なので、“現実を受け入れる”ことを真っ先に考えています。その上で、何をしようかなという感じです。

白川 今ある状況に対して、適応というか、“それならそれで”という感じなんですね。その次にどうクリエイティブにできるかというシフトがあるということですね。

S そうですね。人によって違うとは思いますけど、僕はそうですね。

白川 未曾有の事態に対して、変化、適応をしようとする人や、そうやって切り替えられる人ほど、この局面を自分なりに生きていこうとするんだろうな。「変化するのが怖い」とか、「前の方が良かった」という生き方だと、“With-コロナ”と言われているこの時代では、段々生き辛くなっていくのかなと思っています。典型的には、オンラインとリアルだったらリアルの方がいいという言説とかね。個人的にはそれは種類の違う集い方だと思えばいいと思う方なんだけど。「オンラインはリアルより下だ」というところから思考が始まる人には、「変化を受け入れるのがしんどい」という気持ちが隠れている感じもします。

miho 時代に合わせて自分の生き方も変化していった方が楽に生きられるのかもしれないですね。

白川 「コロナが自分の生き方にどう影響しているのか」というのは、“変化に適応できるかどうか”にも関係があるような気もしています。

なる美 変化と関係しそうですけど、コロナを通して、自分と向き合う時間が増えた気がします。さっきmihoも言ったみたいに、時間のバランスや考えを変えていかなきゃいけないということに多くの人が直面したと思います。良くも悪くも“コロナを理由に”という場面が増えたなと。顕著に表れたのは、結婚式ですね。コロナ婚で良かったという人も多いのではないかな。

miho 確かに…!家族のみの結婚式が増えたよね。

なる美 飲み会もそうですが、ごく少数の本当に会いたい人だけで開催したりと、面倒な付き合いがなくなったり。コロナで亡くなった人や苦しんでいる人も大勢いるので、コロナがあってよかったとは思いませんが、「“コロナ禍”があって良かったんじゃない?」と思うことも少なくありません。

白川 そうだね。繋がりすぎていた時代に、“待った”をかけたような感じもします。繋がること自体が良しとされていて、「ちょっとしんどくないですか?本当はちょっと分断したかったんでしょ?」みたいな感じもあるよね(笑)。

なる美 そうそう(笑)。

白川 自分達の力では止められなかったから、「コロナやってきました!」じゃないけど、そう思えるくらい、“繋がりの暴走”に対しての歯止めにもなりましたね。もちろん分断も昔からあったんだけど、内面に注目する時代になったからこそ、より露わになってきた感じ。新しく発生してきた問題もあっただろうけど、問題は既に埋め込まれていたというか、可視化されるようになっただけとみることもできるかもしれないですね。

なる美 わかります。本当に必要なのかどうか。不要なものを削ぎ落とすような感じもしますね。

白川 暴き方が刺激的な感じもしますけどね(笑)。

なる美 それで言うと、東日本大震災の後の福島も同じような状況で、あの時は日本の中で福島が最先端だった印象です。

白川 わかる!

なる美 わかります?そう!…しらさん、説明してもらえます?(笑)

白川 あ、僕?!はい(笑)。本当にグレートリセット*って感じでしたね。すごく分かりやすく“破壊・被害・被災・困っている人がいる”という状況が福島を中心とした東北の人達に現れていた時代に、「何かしたいな」と思っていた人がすぐ手を挙げたり、原発も含めて元々問題だと思っていたことが、ニュースとして急に頻繁に上がってくるようになったりしましたね。被災地のことを思い浮かべながら、「私たちって本当はこういう社会・未来を願いたいんだよね」という話し合いが各地で活発に起こったりしたんですよね。その時に新しく立ち上がったものもあるかもしれないけど、元々、みんなの心、社会の中に埋め込まれていて、“アラームクロックイベント”と言ったりする人もいるみたいなんだけど、目覚ましのように呼び起こされたという感じ。そういうきっかけになったという面が東日本大震災にもあったという感覚かな。
*グレートリセット:社会や経済の在り方を多面的に見直し、刷新すること

なる美 そうですね。特に私は福島に関わってきたので、放射能・放射線に対する考え方の違いで、友人関係が変わったり、夫婦が離婚したり、家族がバラバラに住んだりということを多く見てきました。子どもに対して「お父さんとお母さん、どっちについていきたい?」と迫ったりする親が本当にいて、「やめてくれ~」って感じだったんですけど、それだけ親達も必死だったんだと思います。強く感じたのは、既にあった問題が原発事故で露呈したということですね。それってコロナ離婚とも重なるなと思います。

白川 そうですね。まさにコロナに入った2020年1、2月頃に、当時大学生の子達がイベントを開催するか否かという問題に直面して、どうしたらいいかと葛藤をしてた時期にサポートをしていたんですね。東日本大震災の話を引き合いに出して、今みたいな話を学生達と深めた時がありました。当時思ったのは、東日本大震災では、東北以外の人から見れば、東北を“助ける対象”と見てる人が一定数いたと思うので、“助ける”と“助けられる”という構図があったけど、今回は「自分はどのポジションを取ったらいいんだろう」ということは話題になりました。

miho 確かに、はっきりと分けられないですね。

白川 そう。コロナは全員が当事者になっちゃうっていうところが、「自分は今、どういう立ち位置にいるんだろう」と、訳分かんなくなって、その精神的なものが、各所で歪みを生んでしまったこともあったかなと思っていて。より厄介かなという印象です。

なる美 う〜ん…。人は自分の立ち位置が分からないと不安になりますしね。コロナでは、シンプルにはいかないですよね。

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