魅力度最下位!?
名古屋をもっと面白く!
人、モノ、場を魅せる仕掛け人

「名古屋を面白がる人を増やしたい」をコンセプトに活動されている加藤 幹泰(かとう みきやす)さん。仕事にかける想いや、転機となった出来事、アメリカ留学の経験などについて伺いました。「地元に関心を持つことは、社会課題の解決や平和にも繋がるはず」と語る加藤さんの軌跡や信念を感じられる取材となりました。

アメリカ留学→会社員→NPOへ

―自己紹介をお願いします。(インタビュアー:なる美)

大ナゴヤツアーズ(https://dai-nagoyatours.jp)の代表をしております、加藤幹泰(かとうみきやす)といいます。今年で38歳になります。最近*子どもが生まれた1年目のパパです。名古屋生まれ名古屋育ちです。アメリカの大学にいた時に、自分の生まれ育った街のことをあまり知らないことが「格好悪いな」と思ったことがきっかけで、「自分の生まれた街や国、文化のことを楽しく知れるような場を作りたい」と思ったので、ソーシャルや社会課題という面も視野にいれながら、色んなことをしてきました。そんな活動をしながら10年ぐらい経ちました。
*取材当時(2022年2月時点)

―そうなんですね。“色んなこと”というのをこれから聞かせてください。学生時代はアメリカのどちらにいたんですか?

アメリカ大陸の西海岸の一番上に、ワシントン州のシアトルという街があるんですが、このちょっと南にタコマという小さな町があって、そこの2年制のコミュニティーカレッジ(大学)に行っていました。ちょうど僕がいる時代はイチローが大活躍してる時だったので、「日本人だとイチローの友達か?」みたいなことを聞かれながら友達を作っていきました(笑)。

―イチロー!地元は近いですけどね!(笑)

そうそうそう!名電*の話をすると、すごく興味を持ってもらえたので、イチローさんにはよくお世話になりました(笑)。
*イチローさんは名電(愛知工業大学名電高等学校の略称)出身

―お世話になったんですね(笑)。話は戻りますが、私もトロントでの留学時代、「名古屋の人口は?」などを聞かれて、私自身も「あまり知らないなぁ」と思った記憶があります。

そうですね。海外だと日常会話の中でそういう話題が普通に出てきますよね。それを聞かれた時に「よく分かんない」というのも格好悪いなと思って。ずっと心の中にそういう気持ちがあるまま日本に帰ってきて、普通にサラリーマンの仕事もしていたんですが、自分の中でモヤモヤしたものが溜まってきていたんですよね。夢見がちなアラサーくらいの時に、どうやったら仕事になるか分からないけども、一度きりの人生だし、「自分の好きなこととかやってみたいことをチャレンジしてみたい」と思ったのをきっかけに、今まで走ってきました。

―そうなんですね。サラリーマンだったのは、大学卒業後ということでしょうか?

そうですね。アメリカの卒業のタイミングは日本と違うので、日本では中途採用という形ですが、リクルート系の会社に入って、半年で正社員にしてもらいました。6年間ぐらいスーツを着て働いていました。

―6年間働いていたんですね。

そうですね。3年名古屋、3年大阪で、成績もちゃんと上げて頑張って働いていたので、「そんな状態でやめるのか?」と言われ、最初は誰も理解をしてくれませんでした。でも、がむしゃらに働いて成績を収めていく僕を見てくれている人達なので、自分の信じた道で頑張っている僕だから、その僕がそう言い出したら「もう無理だろう」ってなって、諦めて辞めさせてくれました(笑)。

―それだけ成果を残していたんですね!

貢献はしてましたね(笑)。

―先ほどの“自分のやりたいことにチャレンジしよう”という決断をして、大ナゴヤツアーズを始めたのでしょうか?

その前に、ちょっと色々道草というか…「自分がやりたいことってなんだろう」っていう1年半ぐらいがあっての、大ナゴヤ大学、そしていまの大ナゴヤツアーズですね。

―模索していた時期もあったんですね。

最後に会社を辞めた時は大阪にいたので、最初の1年間は大阪のNPOで働いていました。その後名古屋に帰ってきて、最初はボランタリーで大ナゴヤ大学(https://dai-nagoya.univnet.j)のお手伝いをしながら、フリーランスとしての仕事を作っていました。その中で、大ナゴヤ大学の代表をやらないかというお誘いがあって、そのタイミングでこっちの生活に切り替えました。

―そうだったんですね。大ナゴヤ大学の手伝いをするようになったきっかけは?

ネットで「名古屋 まちづくり」とか色々と検索した時に大ナゴヤ大学のページが出てきて、家も比較的近かったので、代表に連絡をしました。お茶を飲みながら溜まりに溜まった“地元への熱意”を話したら意気投合したんですよね。当時、僕は26か27歳でしたので、「こんなに熱意を持った若いやつは離さないでおこう」って、囲われていたっていう話を後で聞きましたけど(笑)。でもその時熱意をぶつけて良かったなと思いますね。あれがなかったら今の自分はいないと思うので。

―すごい行動力ですね!熱いですね!

人と人をつなぐ 可能性は無限大

―その熱意はどこから来たものだったのでしょうか?

アメリカにいた時、国際色豊かな環境で自分が1人の日本人として生活をしていく中で、自分のアイデンティティーをうまく語れなかった経験をしたり、「自分って何なんだ」みたいなことをすごく見つめる2年間があったからですね。

―自分を見つめる時間だったんですね。

日本に帰ってくると、“日本という環境”でそれなりに楽しくやれちゃうんですけど、ちょうど名古屋に帰ってきて「転職しようか?何かやろうか?」って探していた年に“3.11(東日本大震災)”があったんですよね。

―3.11のタイミングだったんですね。

色々と調べていたんですけど、ちょうどソーシャルビジネス創生記だったので、社会課題をビジネスで解決して仕事にできるっていうことを知った時だったんですよね。

―ソーシャルビジネスに興味を持ったんですね。

そうですね。キャリアだけで転職するよりも、どういう仕事で、どういうポスト、役割なのか分からないけど、ソーシャルビジネスを作っていける時代なら「何か挑戦してみたいな」って思って。何をしたらいいかはわからないけど、“熱意はある”っていう若気の至りみたいなかんじでしたね(笑)。

―そうなんですね(笑)。でも、それまでサラリーマンをちゃんとやって積み上げてきたものがあっての話なので、新卒の若気の至りとは少し違うような…?

そうですね(笑)。ちゃんとはしてましたね!サラリーマン時代は、採用の仕事だったので、「こんな人を採用したい」という社長さんや採用担当の方と、「こんな働き方がしてみたい」という方をつなぐ、橋渡しみたいな仕事をしていました。罠を仕掛けて一本釣りみたいなやり方をしているところもあると思うんですけど、僕は、道端で歩いてたら絶対出会わない人と人が、自分という人間とか、リクルートの媒体があることで、出会ってつながることに面白さを感じていました。それで何か新しいことが生まれて、有益にも不利益にもなる、そういう可能性の広さがすごく面白くて。

―“出会いをつなぐ”って素敵なお仕事ですね。

今やっている仕事は最初から具体的な構想があったわけではないんですけど、自分のアイデンティティーを知りたくてもやもやしている人とか、名古屋のことをもっと知りたいという人のニーズに応えられるものがあれば、喜んでもらえるだろうし、それって仕事になる可能性があるんじゃないのかと直感的に思っていました。「じゃあそれをどうやって仕事にするのか」と、徐々に具体的にやってきて今の大ナゴヤツアーズの形になりました。

―「ニーズに応えたい」とか「喜んでもらいたい」という気持ちで突き進んできたんですね!

みんなが自分事として関心を持てば、社会課題は減る

―人と人とのつながりに、以前から関心があったんですか?

そうですね。今思えば、人が好きでリクルートの会社にも入りましたし、ありがたいことに自分の周りには面白い方々がたくさんいます。その出会いのおかげで今の自分があるので、“人との出会い”とか、“その人と何をするか”ということが、1つでも2つでも多く生まれた先には、面白い社会があるんじゃないのかと思っています。“人生のキーポイントは人だった”という感じですね。

 ―それは今も変わらず、というかんじでしょうか?

そうですね。基本的には変わらないですね。もともと大ナゴヤ大学をやっていたときも、 何か1つの社会課題をビジネスで解決するというよりは、社会全体で社会課題を減らしていくような視点でやっていました。

―社会全体で、社会課題を減らしていくとは?

例えば病院だと、何かが起きてからの“対処”になりますが、僕が大切にしていたのは“予防”というか、何かが起こる前の“人育て”というかんじです。色んなことが起こってから関心を持つのではなく、その前に関心を持っていれば、起こる前に手を差し伸べる人や声をかける人がいて、世の中の大半の社会課題は減るんじゃないかと思っています。だから、社会に関する気づきとか興味を持ってもらえるように活動していました。

―大切な視点ですね。“予防”に取り組むことは根本的な解決につながりやすそうです。

僕は「全てのことをおもしろがれる人、名古屋をおもしろがる人」を増やすというコンセプトでずっとやってきているんですけど、社会課題を自分事として考えられる人や、興味を持てるような人を増やせば、 名古屋の街だけではなく日本や世界でも、もっと平和な世の中はあるんじゃないのかなと思っています。

―送っていただいた資料*でも「名古屋をおもしろがれる人を増やしたい」とありましたね。
*日本政策投資銀行「東海支店ミニレポート〜マイクロツーリズムによる観光創生〜」(https://www.dbj.jp/upload/investigate/docs/fc6bd48fd8d150f42f4f394bdf742203.pdf)より

そうですね。

―さっきの“予防”の視点に関しては、私も同感です。最近ニュースで、「虐待防止のために警察と児童相談所が連携した」という自治体があると見たのですが、虐待防止は大事だけど、「そもそも虐待が起きるのはなぜなのか?」とか、もう少し根本的な解決が必要なのではないかと思いました…。

そうですよね。僕も子どもが生まれて今1カ月*ですけど、虐待は悪だっていう結論に批判する訳ではないですが、1ヶ月子育てしてみて、虐待する気持ちが分からなくもなかったんですよね。イラっとくる時とか。もちろん子どもはかわいいですけど。
*取材当時(2022年2月時点)

―私もその気持ちすごく分かります…。

だから、誰にでもなり得る可能性はあるし、そうなってしまった結果、その虐待は許されることはないんですけど、「その人だけを責めることではないんじゃないのかな」と思ったり。「じゃあ、どんな助けがあったらその人は虐待をしなかったんだろうか?」と考えると、もっとできることはあるのかなと思いますね。

―そうですよね。子育て中の友達と話すと「虐待する人の気持ちもわかる気がする」とよく話題になったりします。誰にでも可能性があるのだと思います。

心の余裕がある時はね、子どもが泣いてても「元気だね」なんですけど、余裕がない時に泣かれると、ヒステリックになったり、感情的になったりして「もういい加減にしてよ!」ってなりますよね。

―子ども2人ともに泣かれると、本当に涙でてきます(笑)。

ただただ泣けてくるよね(笑)。でも、そうやって友達と虐待について話したりとか、自分が関心を持たざるを得ない環境に身を置けば、社会の課題も自分事になりますよね。

―そうですね。“子育てママ”になって、色んな課題が見えてきました。

そうですね。良いことも大変なことも、自分事になるのではないかと思います。

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