名古屋が好き。
前例を作る市役所職員
人生は「散歩」と話す深尾 英司(ふかお えいじ)さん。名古屋市役所国際交流課で働くまでの経緯や、自分の「シビック・プライド」に気づいた出会いなどについてお聞きしました。
ホームステイで知った「公務員も、あるんだ」
ー自己紹介をお願いします。
深尾英司です。年齢は36になります。妻がいて、去年12月(2020年)に初めて娘が生まれまして、そこで大きく「人生が変わったなあ」と感じています。名古屋市役所で働いています。生まれてからずっと名古屋で「名古屋から出ないのかな?」と思っていたんですけど、2018年の8月から東京の霞ヶ関で働く機会があったので、そこで初めて一年以上名古屋を離れていました。東京で生活して、名古屋を外から見ることができたのは大きなことかなと思います。
ーそうなんですね。その辺、この後詳しくお聞きしたいと思います。
はい。あと、趣味はサウナです。子どもが生まれてから全然行けてないんですけど、8年前くらいから「サウナが好きだなあ」と思っています。瞑想ができる感じが好きですね。お酒も好きなので、このコロナ禍で外で飲めないのが大変残念なのですが、毎日家でちゃんとトレーニングを欠かさず…。いつ解禁されてもいいように日々鍛錬していますね。
ートレーニング…(笑)!深尾さんは、ずっと名古屋とのことですが、大学なども名古屋ですか?
そうですね。中京大学でした。今、たまたま名古屋市役所の国際部門で働いてるんですけど、振り返れば、大学生の時には国際系の学部にいました。
ーたまたまなんですね!
そうなんです。「何を勉強しようかなあ」と考えた時に、特にこれと言ってすごく勉強したいものがなかったのですが、「まあ英語だったらいいかな」と思って国際系の学部に入りました。ただ、英語は一番苦手だし、好きじゃなかったので、入学後は苦労しました。結果、モノになったとは言えない状況で終わったんですけど…。
ー好きじゃないのにその学部を選んでいたんですね(笑)。
はい(笑)。大学生の時に、ニュージーランドで3週間くらいの短いホームステイをしました。牧場だったのでファームステイって言うかもしれないですね。ホストファミリーに「大学を卒業してから何していいか分からないんだよねー。」と話をしていたら、自分たちの話をしてくれ、ホストマザーが公務員のような仕事をしているのを知りました。「ああ、公務員かあ。」と思いながら、帰ってきました。本当は、1年間留学する選択肢もあったんですけど、英語で夢を見るようになったことで「ヤバい、日本語がなくなる」と思ったので早めに帰国することにしました…(笑)。
ーえ?斬新な発想ですね…!
それで、公務員試験の勉強をした結果、22歳で名古屋市役所に入りました。働き始めてから15年が経ちます。短かったホームステイですが、「今の自分の人生を決めたのはあの20日間だったなあ」と。
ーホームステイの経験が影響したんですね。ホストマザーから聞いた公務員のお仕事に惹かれたということでしょうか?
「公務員も、選択肢としてあるんだ」という感じですね。最初のイメージとしては国の仕事だったので、「国家公務員になるのかなあ」と思っていました。公務員試験の勉強をするうちに、公務員の種類を知り「区役所とかも公務員だよなあ」と思ったので、地方自治体の事を少し調べてみました。国土交通省(以下、国交省)に入ったら国交省の仕事、経済産業省(以下、経産省)に入ったら経産省の仕事、と分野が限られるような仕事より、市役所の仕事の方が合っているような気がして、名古屋市役所を選択しました。僕は飽き性なので「色んな仕事ができた方がいいな」と思っていました。
ーそうなんですね。色んな仕事というところがポイントなんですね。
働き始めてから、国交省にいても経産省の仕事をすることもあるし、国交省にいて大使館などに出向することもあるということを知りましたけどね。ホストマザーの仕事を聞いて「公務員という選択」にちゃんと気付いたというか、「向き合ってみた」という感じですね。それまでは「商社とか入るのかなあ」とぼんやりと考えていました。
ー失礼ですが、「商社マンです」って言われても納得されそうな見た目ですよね(笑)。
商社系で働いているようだとは言われますね。飲み会も多く参加していて、20日連続ずーっと飲み会だったこともあり「商社みたいだねー」と言われました。「商社みたいな仕事の仕方も好きだったんだろうなあ」と今では思いますね。
ーそうなんですね。20日連続飲み会…すごいですね。
毎日の勉強「12時間を超えたぞ!」
ーところで、今日は深尾さんの提案で名古屋市公館での取材をしていますが、近くには愛知県庁(以下、県庁)もありますよね。深尾さんは、なぜ働く場所として市役所の方を選んだんですか?
生まれも育ちも名古屋だったことと、県庁は県内で転勤する可能性もあるから、市役所を選びました。今になって「新城とか豊橋の方で働くのも楽しいかもなあ」と思いますが、当時は名古屋市という大きな都市で、かつ、生まれた所で色々な仕事をやりたいなあと思っていました。「国・県・市」と並べた時に、県が中間管理職的に見えていた時もありました。名古屋市役所なら現場の仕事もあるし、県庁と同じレベルの企画的業務もあるので「名古屋市の方が色々できそうだなあ」と思って、市役所を選びましたね。実際、現場の仕事も経験して、「やっぱり良かったな」と思いますね。市役所の良いところだと思っていますが、目の前に市民がいるので、すぐに感謝が返ってくることもあります。そういう点はやりがいにつながりますね。
ーそうなんですね。私は、県庁の東大手庁舎で働いていたこともあり、県庁の方と接する機会が多くありましたが、県庁と市役所の職員さんは、なんとなく雰囲気が違うなあという印象です。
そうそう。分かります。長く働いていると「県庁らしい人」「市役所らしい人」というのができ上がってくるなあと感じますね。
ー面白いですね。私は南山大学を卒業しましたが、名古屋大学の学生と同じ駅を利用していて、「この人、名大かな?」「この人、南山かな?」となんとなく分かることがあります。それと似たものを感じます(笑)。
そうそう、県庁と市役所も駅が一緒なので、電車を降りてからどちらに向かうかで、どこで働いているかがわかるよね(笑)。
ーなるほど(笑)。名古屋市役所で働く決断はすぐにしましたか?他にも受験しましたか?
受験はしましたね。色々受験はしたんですけど、結局、市役所が受かっていたのですぐに決めました。そこはあまりブレなかったですね。
ーやはり、勉強はかなりしたのでしょうか?
あの時が一番勉強しましたね。
ー大学受験よりも?
大学受験よりもしました。大学受験のときはそんなに勉強できなかったんですが、「必ず公務員試験に受からないといけない」と思ったので、13時間くらいはやっていたと思います。もっとやってたかな…?何か月かずーっと長時間勉強していました。「12時間を超えたぞ!」っていう記憶が残っています。
ーえー!すごい!12時間以上とは!
その時だけは「自分、すごかったなあ」と思います(笑)。
ーそれだけのモチベーションがあったんですね。
土木事務所、緑政土木局、区役所、外務省から観光文化交流局へ
ーではその後、公務員になってからはどんな部署で仕事をしていましたか?
最初は、港土木事務所に配属されました。土木系の出先機関で2年働きました。入庁後すぐの入社式のような場で、順番に名前を呼ばれて配属先を告げられていくんですが、自分は事務職で入ったので、てっきり区役所かと思っていたら土木事務所で…「どこ?」ってなりました。
ー思っていたところと違ったんですね。
3年目からは緑政土木局(以下、土木局)の総務課に配属され、そこで7年間働きました。一般的に長くて7年と言われているので、最長期間ですね。そこでは、防災関係の仕事が多かったです。陸前高田市や仙台市などの被災地に職員派遣の調整をすることもありました。土木局の総務課の時は局長秘書みたいなこともやっていましたね。
ー緑政土木局・・・初めて聞きました。
ですよね。その後は、土木局での名古屋市議会関係の仕事を経て、今は観光文化交流局という所で働いています。7年間、土木局の真ん中で働かせてもらったことで、市役所の色々な部局と調整することも多く、顔が広がりました。「今もそれは活きてるなあ」と日々感じますね。「知り合いが多い」ということは仕事のやりやすさに繋がります。
ーなるほど。培ってきたことを活かしているんですね。
それから、土木局での6年目、入庁して8年目で係長試験に受かり、1年間は総務課で待機していました。その後、今はない部署ですが、当時は魅力向上室という部屋があり、そこで1年間シティプロモーションを担当していました。その後、係長職である主査としてとして中区役所の地域力推進室でも働きました。名古屋市中区の街づくりを担当する部署で1年4か月勤務しました。今の仕事にもつながるような、外国人関係の仕事もやっていましたね。
ーおぉ…なんだか、変化が目まぐるしいですね。
ですね。当時中区は、人口の10%が外国人で、名古屋で一番在住の外国人数が多く、「外国人との共生」「多文化共生」というのが喫緊の課題として目の前にあったので、それを一生懸命やっていました。そして、年度の途中の異動は珍しいんですけど、2019年に名古屋で開催されたG20外務大臣会合の調整をするために、2018年の8月から外務省に出向になりました。2020年の1月までの1年半、東京の外務省でG20とかAPEC(アジア太平洋経済協力)の仕事を担当していました。
ーG20やAPECをやっていたんですね。ニュースでは見ました!
そうなんです。帰ってきてからMICE(マイス)という展示会や国際会議などを誘致する部署で2か月働きました。国際会議誘致について考えた後、2020年4月に今いる国際交流課に異動になりました。
ー色んな場所を経て今に至るんですね。
はい。国際交流課での最初の1年は渉外事務と多言語の情報発信を担当する主査でした。
ー渉外事務とは、どんなお仕事ですか?
渉外は外部関係の仕事って意味ですが、名古屋市国際交流課での渉外は大使館や在名領事館*を中心とした世界各国との業務窓口を担っていました。コロナの影響がなければ各国の方との会食などもあるような職場です。
* 在名古屋領事館とも言い、名古屋にある外国領事館のこと。
ーなるほど。世界中とやりとりをする仕事も名古屋市にあるんですね。多言語の情報発信とは、英語とかですか?
今、名古屋市では「日本語以外で、8言語での情報発信に努めます」としています。英語、中国語、韓国語、ポルトガル語、スペイン語、フィリピノ語(フィリピン語・タガログ語)は割と知られているかもしれませんね。他にも、べトナム語やネパール語もあります。
ーそうなんですね!知りませんでした。
なかなか翻訳が追い付かない状況があったので、AIを活用した翻訳を行政文書に取り入れたいと思いました。翻訳スピードを上げたうえで、翻訳精度も担保できないかなと。そんな課題がボヤっと目の前にあったので、それを具現化する企画を立てて、今年度から試行的に実施しています。多分、全国的にも「ちゃんと取り入れます」という事例は初めてだと思います
ー“ボヤっと“を、しっかり具現化したんですね。
ただ、また国際交流かの中で異動がありまして…。6都市の姉妹友好都市があるんですけど、そこを中心とした海外の都市との交流担当の係長に着任して半年が経ちます。異動が多いのが役所人生ですね。
妻と一緒にG20
ー「色々やりたい」の言葉通り、本当に色々やっていますね。
そうですね。
ー多岐に渡りすぎて、全然違う仕事なんじゃないのかなあ…という感じさえあります。
そうですね。新しい席に座るたびに、一から勉強でした。
ーそうなんですね。始まりは土木の仕事からで…あ、“土木の仕事”と言うと、ちょっとイメージが違ってきちゃいますね(笑)。
実はそんなことなくて、土木事務所の時は、簡単な道路の補修などは僕もやっていましたね。「ちょっと穴が空きました…!」くらいの連絡があると「簡易アスファルト」を持って“ザザザザザ!パンパン!”で応急処置をしていました。
ー役所の職員さんて、そういうこともするんですね!驚きです!
はい。毎年、何かしらそういうことがありましたね。
ー深尾さんの中で、特に楽しかったお仕事は何ですか?
外務省は面白かったです。名古屋市役所からの出向は僕が2人目で、初出向で外務省に行った1人目はCOP10*の時でした。外務省の地球環境対策課みたいな部署だったようです。
*2010年に名古屋市内で開催された生物多様性の国際会議
ーその次が深尾さんなんですね。
G20があるということで、僕がたまたま行けることになりましたが、初めて政府系の国際会議を裏方として見て、面白かったですね。COP10以降、行政の大きな国際会議は名古屋市内で開催されていないので、僕らの年代があまり知らない業務に触れることができました。
ーそうなんですね。G20といえば、各国の首脳が参加する、非常に大きな国際会議ですよね!
そうですね。トランプ前大統領はじめ、各国首脳を生で拝見できました。あと…妻が仕事を辞めて東京についてきてくれたんです。そして「せっかく東京に来たからちょっと働こう」と、たまたま選んだ仕事で配属された勤務地が外務省で、一緒にG20をやるっていうことになりました(笑)。
ーご夫婦でG20ですか!すごいですね!
2019年の4月から3か月間、妻と一緒に通勤していまして…面白いですよね(笑)。僕の方は名古屋での外務大臣会合がメインで、6月にあったG20の大阪サミットではシェルパ会合の方を担当していたので、会議当日はあまり中に入れませんでした。でも妻は、大切な業務を任されていたので、各国首脳や国際機関のトップと会えたみたいです。妻の方が各国首脳を良く見ている状況になりました…(笑)
ー(笑)。実力のある奥さんなんですね。
僕より仕事ができるんじゃないかな(笑)。きれいに資料をつくるし、「Excelとか超上手い~」と思っています。