キリスト教の受洗。生きる上での道しるべ。
―YMCAを35年間続けて、気持ちの面で紆余曲折はなかったですか?転職等を考えたことはありますか?
最初は大学生から社会人になって、目の前の仕事を一生懸命やるしかなかったんだろうなと思うけれども。続けることができた、一つの大きなターニングポイントは自分がクリスチャンになったこと、洗礼を受けたことだと思います。
―洗礼を受けたんですね。
ちょっと宗教の話なんだけど、ここでそれを話してもいいのかな…?
―もちろん大丈夫です。
うちは元々どこにでもある普通の日本の家で、仏壇もあり、商売をやってたので神棚もあり、宗教としては浄土真宗の家でした。でも宗教って個人個人のものなので、自分がどう考えるかなんですね。親にも反対されなかったし、YMCAで仕事をしている中でキリスト教に触れて、自分が生きていく上での価値観をキリスト教に求め、それをベースにしたいと思ったから、自ら進んで決断し、洗礼を受けてクリスチャンになりました。それがなかったら、そこまでYMCAの活動に魅力を感じずに転職してたかも分からないね。
―洗礼と、仕事を続けることがどう関係しているのでしょうか?
洗礼を受けるということは自分が生まれ変わる意味もあるので、神様から与えられた仕事だと思える、分かりやすく言うとそれかな。口幅ったいけど。YMCAの総主事になる時には、アメリカ大統領みたいに、聖書に手を置いて宣誓するんですよ(笑)。
―それはかっこいいですね!
受洗や宣誓で意識も変わってくると言うか、YMCAのために自分の全てを与える人になろうかと思ったり。神から与えられた職責を全うするみたいなね。YMCAによって違うと思うし、別にアメリカ大統領の真似をしてる訳でもないけれども(笑)。
―でも、儀式的なものって、精神にとって大切ですよね。
聖書に基づいたYMCAの働きに、自分の仕事、人生というか、“一生懸命さ”を捧げます”、みたいなね、そういう宣誓をするんですね。でも、それは別に総主事に限ったことじゃなくて、YMCAに就職する人たちはみんな、程度の差こそあれ、そういう部分があってほしいなと思います。もちろん今の若い人はYMCAに就職する時にそんなことがあったら、そんな怪しい団体は嫌だと思うかも分からないけれども(笑)。
―確かにいきなり宣誓させられたら驚きますね…(笑)。
でもYMCAがキリスト教団体であることは事実だし、将来変わることもない。YMCAの職員として仕事をする上では、そういうことを意識できるかできないかで、少し違うような気がします。でも今、日本の社会でキリスト教徒なんて本当にわずかで、1%いないんです。今はYMCAの中でも受洗してない方の方が多いんですね。でもやっぱりYMCAが存続する中で、キリスト教の価値観は大切だと思う。振り返ると、受洗したことは大きかったかな。それが良かったのかどうかは分からないけどね。
―なるほど。キリスト教の価値観というと”一人ひとりを大切に”や”他者のために”という印象です。受洗後はきっと色々な変化があるんだろうと想像します。
普段の生活を送る中では、受洗とか、自分の生き方を変えるというとなんか大袈裟ですけれどね。昔は受洗というと、全身水に浸されてするものでした。
―全身!そうなんですね!
大昔の聖地ではそういうふうにやっていたんだろうなと思いますが、今は、牧師が少量の水を頭につける感じで洗礼を受ける儀式が多いですね。
―だいぶ簡略化されたんですね。
でもこういう宗教的な話って、今は聞かれるから話すけど、日本の社会では話しづらい部分がありますよね。今、統一協会のこともあるし…。「自分の宗教なんですか」となったとき、なかなか言い出せないこともあったな…。
―確かに。タブーのような感じもありますよね。
日本の社会のことを悪く言うつもりはないけど、「日本は仏教国ですか」っていった時に、「イエス」って言えないですよね。皆さんの中に個人的な思いとして宗教にすがりたい気持ちがあるかも分からないけれども、例えばそれが高じていって、オウム真理教であったり、統一教会に入信してしまっては困るわけで。そうするとやっぱり、仏教だとかキリスト教だとか、イスラム教も含めて、そういう宗教の責任は重たいなと思うよね。
―そうですね。私も思います。私は普通の仏教徒ですが、もうちょっとキリスト教が頑張ってくれないかなって(笑)。(なる美)
ほんとにそう!
―タイで、若いお姉さんが道端の祭壇でお祈りしてから出勤する光景を見たことがあります。イスラム圏もそういうのがあって治安が維持されてるという見方もある一方で、日本は無宗教と言われているのに、なぜこんなに治安がいいんだろうとも思います。(なる美)
うんうん。

―それって日本人の素晴らしい特性だと思うんですけど、一方で震災の後とか何か大きな出来事が起きたときに、小さな宗教がこそこそっと勧誘活動を活発化させたり、それに吸い寄せられる人達を見ていると、「もうちょっとキリスト教が頑張ってくれたら何か変わるのでは…」と思ったりします。(なる美)
うん。本当にそう思うよ。キリスト教について言うと、日本の明治維新、文明開花と呼ばれた頃に教育と福祉の分野にキリスト教の文化がガッと入ってきて一般化したんですよね。だからキリスト教の学校って結構あるじゃん?
―母校の南山大もそうですね。
南山、金城、名古屋学院もそうだね。福祉の分野でも例えば障がいを持った子どもたちの施設だとか、老人介護もそうだし、昔でいう孤児院も、最初はキリスト教ベースだったんですね。
―そうなんですね。知らなかったです。
そうやって考えると、批判を受けるかも分からないけれど、日本の教育と福祉の分野でキリスト教の果たしてきた役割はすごく大きい。でもそれがこじんまりとしてて、社会に開かれていないというか…。だからもっと言えばキリスト教主義の学校がもっと頑張ってよというね(笑)。YMCAも含めてかもしれないけどね…!
―確かに、あまり知られていないですね…。
キリスト者は奥ゆかしいのかな…。あまり過去のことを声高に言わない。ただ、言うと、日本の社会ではちょっと目を背けられるのかも?宗教に対する日本人独特の、なんていうのかな…弱さでもないけれども、無関心さでもちょっと違うけど…。何かそういう宗教に対する捉え方があるよね。面と向かわないと言うかね。だからこそ、今の日本があるのかなとは思うところもある。なかなか微妙な話だね。
―“宗教”という言葉自体が、なんらかのイメージを帯びていますよね。その中でも、キリスト教は身近に感じますけどね。
南山大学でもキリスト教概論の授業ってあったでしょう?
―はい、キリスト教は好きなものの、授業は凄くつまらなかったです(笑)。
それは困ったものだ(笑)。
―そういえば、私も大学でキリスト教の降誕祭の劇をやりました!(miho)
野外劇、ページェント*だよね?
*歴史的な出来事や物語を再現する演目
―そうです!行列で歩いて。内容はほとんど理解していませんでしたが…(笑)(miho)
キリスト教主義の幼稚園とか、保育園でもやるよね。子どもがマリア様、ヨセフになって、イエスキリストの誕生のところを劇にしてね。あれこそ、まさにキリスト教の境地だよね。
―私、海外を旅する時、教会は面白いので必ず行くんですけど、そこでお祈りするようになって、それがすごく良くて、クリスチャンになろうかなと思う時期がありましたね。(なる美)
いいじゃん!
―クリスチャンになろうと思ったら、そんなに簡単になれるものなんですか?
自分の気持ち次第だよね。教会によって色々違うんだけど、「3回続けて礼拝に来なさい」とか、「牧師と勉強会や面談を5回やりましょう」と、条件があって、その上でなれます。でも、基本的にはそれこそさっきのボランティアの話じゃないけど、個人の自発的なことだから。あなたはダメ、あなたは認めます、みたいなことはないです。
―そうやって聞くと、宗教のハードルが低く感じますね。日本人は宗教に対して、変にハードルが高いのかも…。
いやぁ、こんな話ができるとは…!あまり宗教的な話をしたらダメかなとか思ったりもして。
―加藤さんの人生観の重要な部分ですし、大歓迎です。
僕は他の宗教の事はそんなに勉強していないから分からないけど、キリスト教に限らず、宗教って人間が生きていく上であったら楽だと思うんです。
―信仰心があると楽に生きられる、というのはなんとなく分かります。
自分が日々生きていく上で、そういう宗教性…それは別にキリスト教がいいということじゃなくて、キリスト教であっても仏教やイスラム教であってもなんだけど、そういうのが身近にあると何かあった時に、そこに答えを求めることができる。自分がどうしたらいいのかを宗教上の価値観で考えたら、「これはやる、やらない」っていう判断がつきやすいかな。そんなことは思ったことがある。
―迷った時の道しるべのような?
うん、そうだね。
―何かを判断する時に、自分の価値観と0から向き合うのは大変でも、既にある価値観に頼ったり、参考にできると生き易くなりそうですね。
今の若者が大切。耳を傾けよう。
―加藤さんと初めて海外に行ったのが、高校3年生の夏のオーストラリアだったんですけど、そこから大学生の時にも韓国へ一緒に行ったり、様々なボランティアの現場で一緒でした。(なる美)
そうだね、あの時は高校生だったね。

―その後社会人になって、何かのボランティアでテントを立てている時のことを覚えています。私と加藤さんと大学生くらいの子がいて、その大学生の子が動けば一番スムーズに行くタイミングで、私は「あなたがこっちに動けば?」と思っていましたが、加藤さんが「俺がこっちへ行けばいいな」と自分から動いてて。「あ、こういう大人になろう」ってその時思いました。(なる美)
そんなこと言った?全然覚えてない(笑)。
―そういう、本当に何気ないところが加藤さんを表してるし、YMCAのみなさんそういう温かさがあって。すごく育てていただいたなと感じています。(なる美)
ありがとうございます。そこまで大袈裟に言われると…(笑)。いやでも、なる美さん、高校生の時なんて本当ハチャメチャでさ、もう何言い出すかな?みたいな(笑)。こっちはYMCAの事務方のトップとして行ってるから、青少年のためのYMCAだし「若者の言うことに耳を傾けなきゃいかんな」と思いながらね。
―(笑)
発想が、僕ら大人が考えつかないようなことで。これやろうとか、こういうの段取りしてきましたからお願いしますとかさ。
―「あと車だけお願いします!」とかですね(笑)。(なる美)
そうそう、そんなんばっか!(笑)そんなのだから断れないんですよ。でもそれは彼女の良さで。僕らはそれを支える。今の社会も、そういう若者の言葉に耳を傾けて、実際に行動するということが必要かなと思います。そういうことで社会が変わっていくんじゃないかなと。だから「今の若者は」みたいな言い方じゃなくて、「今の若者が大切」で、それをどうやって支えるかで変わっていくこともあるんじゃないかなと思います。
―わー!加藤さんみたいな方は上司にいてほしいですね~。「今時の若者は」っていう言葉はよく聞きますけど、そこを変えるだけで見方が随分変わりますよね(miho)
自分の価値観を持っている人がそういうふうに言うよね。若者はこうだけど、自分の価値観はこうだって、言うことは別にいいんだよ。でも、自分の価値観はそうだけど、若者の価値観も聞かないとね。そこでまた良いものが生まれるんだよね。
園長先生の次は、予備校勤務。地域で異なるYMCA。
―“加藤さんを表す言葉”ということで、いくつか頂いています。
エネルギッシュ、ボランティア、社交的、まっすぐ、人のつながり
見えないもの、隣り人を愛せよ、寄り添う、ボーカル
―「まっすぐ」、いいですね。どなたからの言葉ですか?
いのちの電話の事務のスタッフですね。今朝聞いてきました。
―これまでの会話の中で、“納得”な言葉が多いですね。加藤さんはどう思いますか?
そうだね。まあ、“エネルギッシュ”という言葉に関しては、気持ちはあるんだけど、やっぱり身体的な問題もあるし、いつまで続けられるかというところですけどね。でも、今いのちの電話の相談員は年寄りばかりじゃないんですよ。今は20~70代までの方がいらっしゃる。
―若い方もいらっしゃるんですね!
若い方は少ないんだけどね。昔は55歳とか60歳定年が普通じゃないですか。だから50~60代がほとんどだったんです。定年後に時間ができたから、ボランティア活動をやりましょうっていう考えだったと思うんですけど。今は違って。
―定年もどんどん引き延ばされていますよね。
若い人もお年寄りもみんな仕事をしてる中で、自由になる時間にボランティアしようという風に変わってきていて。それを凄く良いことだと思うのね。時間ができたからやるんじゃなくて、自分のライフスタイルの中の“この時間をボランティア活動に捧げる”ってすごくいいことですよね。
―時間ができたからやるのと、時間を作ってやるのは全く違いますね。
掛かってくる電話も幅広く、お年寄りばかりじゃないので、相談員も老若男女問わずいます。活動を長く続けてもらうためにも、今エントリーできる年齢は20代~67歳までです。設立当初は本当に崇高な理念のもと、電話を承る、傾聴、無償ボランティアで交通費も出なかったので、主婦が多かったんですよ。専業主婦でしかも割と裕福な余裕のある方ですね。設立当初はそうだったんだけど、やっぱり世の中変わってきたんですね。それはいいことだと思いますね。
―そうですね、社会の変化に合わせつつ、ですね。YMCAにいる時から、いのちの電話に関わっていたんですか?
うん、一つの友好団体として名古屋YMCAがあって、ボランティアだけど理事を5年ぐらいやってたかな。でも理事会だけだから年に3回ぐらい理事会に出て、報告聞いて、予算の承認とか、決算の承認をしてた、っていうくらいの関わりです。
―昔からご縁があったんですね。
―“ボランティア”という言葉もあったように、社会のために献身的な印象の加藤さんですが、少し、人間らしい一面も知りたいです(笑)。YMCAにいた時に、最も情熱をかけたと思う仕事、逆に失敗したと思うことはありますか?
もちろんあるよ。そうじゃないと人生じゃないしね(笑)。名古屋YMCAが財政的に一番しんどい時に、事務方の責任者になって、戦後まもなく上前津の会館ができてからずっと続けてきた場所を売却して移転をする決断に携わったことが一番大きなことかな。プラスにもマイナスにもね。
―加藤さんにとっても組織的にとっても、大きな出来事だったんですね。
活動ができれば、別にプールや大きな体育館がなくてもいいやと。そういう発想で売却を決めましたね。それは僕が決めたわけじゃなくて、理事会で相談をして決めました。それによって、ずっと体育館を使っていた会員の方とか、プールの子ども達とか、皆さんに迷惑はかけたんだけれども、そういう決断をして、名古屋YMCAが存続できたことはやっぱり大きな仕事だったかなと思うね。
―YMCAの転換期だったんですね。
それともう一つ、私は大阪のYMCAにも12年ほどいたんですけど、そのうち4年間はYMCAがやってる幼稚園の園長をしていました。名古屋に帰ってからも名古屋のYMCAの責任者をやりながら、南山幼稚園で園長を12年やってて、両方合わせて16年園長をやっていました。

―そんなに園長先生のご経験が!
外から見たら、子どもと遊んで給料もらえていいねって思われているかも分からないけれど(笑)。もちろん、色々と大変なこともありました。だけど、やっぱり子ども達と関わる仕事ができたことは、良かったなと思いますね。
―子どもと関わる仕事が好きなんですね。
そうだね。あとは失敗談として思いつくのは、今はもうないんですが、昔は大阪のYMCAに予備校があったんですね。YMCAの予備校と聞いてもピンと来ないかもしれないけれど、大阪では一番大きくてレベルも高い予備校でした。
―予備校ですか!そうなんですね!
一つエピソードを言うと、ノーベル賞を受賞した利根川進さんや、金城学院大学の元学長だった、柏木哲夫さんという方はYMCA予備校の出身なんです。
―優秀な方を輩出していたんですね…!
YMCA予備校は、3月の終わりぐらいにギャラパーティーという合格を祝うパーティーをするんですが、その時に自分の名前と合格大学を書くんです。それが代々引き継がれていて、ちゃんと同じ年に2人の名前が残っています。利根川進さんは1987年に日本人として初めてノーベル生理学・医学賞を受賞していて、柏木哲夫さんは、日本で最初にホスピスを作った精神科医で、大阪から名古屋の金城学院大学の学長に招かれた方です。今はまた大阪に戻られて、淀川キリスト教病院の名誉ホスピス長をされていますね。
―同じ時代にお2人がいたんですね!
YMCA予備校はお金儲けのために作ったわけではなくて、明治時代に、地方出身の浪人生をサポートする機関として始まりました。だから、商売としてではなくて、若者をサポートする目的で活動していたんです。
―浪人生のサポートだったんですね。寮ですか?
明治時代は寮もあったみたいですが、当時は普通の予備校でした。そのYMCA予備校のスタッフとしての仕事は8年くらいしていました。それまではずっと子ども達のキャンプとかをやっていたから、もう全然違う職種で、転職みたいなものだよね。
―確かに転職みたいですね!
その時は1000人くらい生徒がいたんですが、全くの素人だったから、今思うと当時の進路指導なんて本当にいい加減で…当時の生徒に申し訳ないなと未だに思うことはあります。大学の特色とかの勉強はしたけど、なんせ偏差値の世界だからランク付けで進路指導をしないといけなくて大変でした。もう本当にド素人で申し訳なかったなと思います…。
―それで苦情がきたり…?
苦情は今のところはないけど…(笑)。今でも、その時の学生数人と、年賀状をやり取りしています。
―予備校だと、社会教育というよりは学校教育に近いですよね。
うん、そうだね。法人格としても準学校法人という言い方をしていました。こう振り返ると、YMCAでの仕事は普通の企業じゃ考えられないですよね。子ども達のキャンプをやったり、体操教室やスキーをやったり、幼稚園の園長をやったり、はたまた予備校もやったり。面白かったなと思います。

―“若者のために”というのは全てに共通していますね。でも活動が幅広くて、理念を知らないとどういう団体なのかは分かりにくいかもしれないですね。
だからYMCAの中でも議論があって、大阪をはじめとしたいくつかのYMCAでは予備校をやってたんだけど、例えば東京YMCAとかはそういう事業はYMCAには馴染まないからやらないという決断をして、やらなかったところもある。でもやってたところは、ある時期は予備校生がたくさん集まったから、財政的に良い面もありました。もちろん困難もあったけどね。
―良いことばかりじゃないですよね。
その後、予備校をやめた後にできたのが、通信制の高等学校です。今でもあります。予備校のノウハウを生かしながら、通信制に通うような子たちをサポートする高校として再生しました。
―予備校で培ってきた経験が継承されているんですね。それにしても、YMCAは本当に地域によって特色があるんですね。
YMCAは世界中にあるから、特にアメリカは“ジム”のイメージだし、ただの“ユースホステル”だと思われていたりもする。アジアのある国では“難民救済”の活動をする団体だと思われているとこもあるし。ドイツのYMCAは宗教性をすごく大切にして、“お祈りをする会”だと思われているみたいですね。それぞれが色んな活動をやってるんだけど、国民のイメージも地域差があるね。
―全然違うイメージになりそうですね。それが同じ組織だというところが魅力的ですね。
YMCAも、いのちの電話と同じで“活動”だからね。市民活動みたいな感じだから、ちょっと会社組織とは違うよね。反対に僕は普通の会社組織での仕事の経験がないので、分からないことも多いし、常識外れのこともいっぱいしているかも分からない。
―加藤さんとお話ししていて、そんなこと全然感じません…!
―園長時代に、苦労された経験などはありますか?
それは色々ありますよ。世間的に言われているモンスターペアレンツとは違うけれども、親との関係は難しいこともあるよね。保護者が「わが子がかわいい」のは当然のことですよね。幼稚園は社会生活の第一歩なので、一つ間違うと誤解を招いてしまったり、ということは結構日常的にあるので、気を付けていましたね。
―言葉選びも慎重にする必要がありそうですね。
説明をしたり、理解をしてもらったり、そういうのが一番意を用いたことかな。幼稚園の中で結果的に怪我をしちゃったりっていうこともありますよね。こちらの至らなかったところを謝罪をすることはもちろんだけれど、保護者としては納得し難いことがある場合もあって。それも当然だと思うんだよね。でも逆に、幼稚園に対する保護者の理解がより深まり、関係が濃くなったということもあります。
―子どもの怪我、難しいですよね。娘もよく怪我して帰ってきます。
でも、そういうのも含めて子どもは社会性を学ぶんですよね。放任ということではないけれど、箱入り娘や息子ではなく、社会性を学ぶのが幼稚園。幼稚園という枠の中で色々な経験をすることが大事だと思っています。子どもが社会に出ていく第1歩の所が幼稚園や保育園なわけだから、その中で喧嘩もあり、いじめもあり、不意の怪我をしたり、怪我をさせられたり。それぞれがそういう社会性を学ぶ場所ですよね。幼児教育に16年関わる中で、そういうことを私も学ばされましたね。
―親としても過敏になり過ぎず、子どもが社会性を学んでいるんだと考えたいところですね。
そういえば、YMCAを退職してから、名古屋柳城短期大学の豊田幼稚園にも3年行ったから、それを入れるともう20年くらいですね。
―もう幼児教育はかなりベテランですね!
人とのつながりで人生を豊かに
―7つの言葉に、“ボーカル”もありましたね!歌うんですか?
高校生の時にYMCAで出会った男5人で、高校は違ったんだけど、バンドを組んでいたんです。
―高校生の時にバンドをやっていたんですね!

「お前はギターできへんからボーカル」とか言われて、ボーカルをやってたね。
―消去法?!(笑)
そうなんですよ。で、その5人の仲間のうち一人が去年亡くなって。その人は30歳代の時に自動車事故で下半身不随になって、絵描きをしながら房総半島でずっと生活していたんですけどね。名古屋にも車椅子で1回来たこともあったんだけど、なかなか会う機会もないままお別れしちゃったから本当にショックでした…。もう1人は今大阪にいて、残りの2人と僕も入れて3人は名古屋にいるから、お正月ごとに集まってセッションやってるんですよ。
―すごく長いお付き合いですね。人前で演奏されたりは?
そうそう。高校の時はもうすごかったよ。“文化祭荒し”って言って、色んな高校の文化祭に行ったりしてたね!
―荒らすほど人気だったんですね(笑)。キャンプでも、歌を歌う機会が多いですよね。
バンド時代が役に立っていると思う。キャンプソングを歌うことは多いからね。でも最近本当声が出ないから困ったなと思ったりして。
―お年を考えたらそれが普通なのでは…!(笑)
そうかそうか(笑)。でもさ、うちの妻なんかは大学でバリバリの合唱団だったから、そういう人は今でもちゃんと声が出てるんだよね。私は我流だから、発声法とか声を出す腹式呼吸のトレーニングだとか受けたことなくて、ただ歌えばいいっていう感じだから仕方ないかな(笑)。
―奥様は合唱だったんですね!
音楽は二人とも好きだね。
―お仕事に趣味にと、充実されていますね!
仕事も趣味も、仲間がいるから充実するし、楽しいですよね。
―最後に、加藤さんは人生って何だと思いますか?
今日いろいろ聞かれて、改めて僕も自分を振り返る機会があって良かったなと思うんだけれども、やっぱり今日の話も含めて、人とのつながりができたこと、それが人生かなと思います。
―人とのつながり、とても大切にされていますね。
たとえつながりの一人が亡くなっても、つながりがあったことは消えないじゃないですか。そういう人との繋がりがあったこと、続いていくこと、それが人生なんだろうなと。もちろんそのつながりは、喜びだけじゃなくて、悲しいことだとか苦しいこともあるかも分からないけれども。そういうのも含めて、人と人とのつながりを作っていくことが人生なのかなと思いました。
―“人とのつながり”が、人生をより良いものにしていくということでしょうか。人とのつながりを大切にされてきた加藤さんの言葉、とても響きます。
改めて、そのように気付かせていただいてありがとうございます。
―こちらこそありがとうございました。長年社会教育に携わってきた加藤さんの、社会への貢献度はとても大きなものだと思います。人とのつながりの大切さ、“傾聴”、ボランティア精神、宗教についての考え方等、人生において教訓になるお話をたくさん聞けて勉強になりました。
取材日:2024年3月7日
場 所:THE TOWER LOUNGE CASHIME

