バレー・バスケを生み出した!YMCAの軌跡
―初めて加藤さんに私がお会いしたのは、15歳ぐらいの時でした。その時は上前津にあったYMCAを取り壊すタイミングでした。(なる美)
そうですね。
―加藤さんが名古屋のYMCAの総主事をしていて、プールがあった上前津のYMCAからかなり縮小した新栄の事務所に移転するという、大きな決断をされた時期だったんじゃないかと、大人になってから思っています。
そうでしたね。私が決断というよりも、理事会として決断をしたんですけどね。YMCAは公益財団法人で、どこからか援助をもらって運営している訳ではなくて、自分達でお金を生み出さないといけない団体なんですね。その中で利益を追求する訳ではなくて、社会に還元しながらやっているので、なかなか運営が厳しい部分があるんですよね。
―社会貢献をしながら、利益を得なければならないんですね。
ですから、昔は色々先駆的な働きがありました。室内温水プールは、実は日本で初めて東京YMCAが作ったんです。
―日本初がYMCAだったんですね!
それから、今はたくさんの企業があるけれども、昔は英会話と言えば、YMCAで習うものだったんですね。勿論、戦前、大昔の話ですけど。
―そうだったんですね!
あと、アメリカの話になりますけど、バレーボールやバスケットボールはYMCAが生み出したスポーツだったり。
―え…?生み出した?
テニスだと2人しかできないから、新しいスポーツをつくったんですよね。
―なるほど!アメリカのYMCAから世界中に広がったんですね〜!
YMCAは世界中にあるからね。YMCAの発祥はイギリスなんだけれども。海外でYMCAというと、結構ジムとか、スポーツのイメージが大きいよね。
―日本でYMCAというと、西城秀樹を思い浮かべる方も多いと思いますが、団体と関係あるんですか?
あるある!元々はヴィレッジピープルっていうアメリカのバンドがYMCAをイメージして作った曲でブレイクして、それを西城秀樹が日本版で作ってヒットしたんです。
―関係あるんですね!
ノリがいい曲だから、今でも使われているよね。
―吹奏楽などでも定番の曲ですよね。トランプさんが踊っているのを最近ニュースで見ました。曲が流行った時はみなさん喜んでいたのでは?団体の利益につながることはありましたか…?
そうだね。YMCAの名前は、皆さんに知っていただいたけど、それで金銭的に団体が潤ったことはなかったですね。
―意外とそうなんですね。
そうですね。もう昔の話だね。曲があったから良かったこともいっぱいありましたけどね。元々YMCAは、Young Men’s Christian Association(キリスト教青年会)の略なんですね。だからイギリスで始まった時は、歌やスポーツは関係なくて宗教的なものだったんです。
―元々はキリスト教の団体ということですね。
産業革命の後に、イギリスの地方からロンドンに若者が仕事をしに出てきて、非常に劣悪な労働環境で働いていたそうです。1日12時間とか働いて、残りは寝るか酒飲むか、賭博やるかという、疲弊した若者がいっぱいいたことを受けて、「これじゃいけない」って、ある方が若者を集めて、キリスト教の祈りの会を始めたのが始まりなんですよ。
―祈りの会からのスタートなんですね!
最初はそうだったんだよね。多くの方にスポーツを、健康を大切にとかそういうことじゃなくて。敢えて言えば、心の健康のためにね。あまり良くない生活をしていた若者に、もっと自分の可能性を考えようよとか、祈りの中に生活の糧を見出そうよとか、生活運動みたいなところから始まったと聞いてます。1844年だからね、その当時は生きていませんが(笑)。
―そんな歴史があったんですね。
YMCAのことを語ると、1時間じゃ足りないですね(笑)。


自殺予防のセーフティーネットと心の健康
―加藤さんにとってYMCAはとても重要な存在なのですね。
仕事としては35年。高校生のメンバー時代、大学生のリーダー時代も合わせると55年関わっていますからね。それに、私にとっては嬉しいことなんですが、YMCAで経験したことが、今、いのちの電話で生かされていることもあります。
―例えばどんなことですか?
例えば、人のつながりで賛助会員になっていただいたりとかね。あと、いのちの電話は宗教的なバックボーンはなく、布教活動になってもいけないので無宗教を標榜してるんですけど、歴史としては、いのちの電話もイギリスから始まっているんです。とあるキリスト教の牧師が、ある少女が自殺したことに心を痛めて、「何か悩みがあったら、ここに電話しなさい」と、教会の電話番号を新聞広告に出したのが始まりなんです。
―牧師さんが始まりなんですね!発祥は同じくイギリスと。
それが世界中に広まりました。日本でも、20年後くらいに東京でキリスト教関係者が尽力して始めたそうです。名古屋では今から39年前に、牧師さんやお坊さんなどの宗教者と呼ばれる人達がいのちの電話をつくりました。いのちの電話は、そういう目に見えない形での宗教的な支えがあると思います。
―YMCAと同じく、これも心の健康ですね。
心の健康、そうですね。だからかっこよく大げさなことを言うと、世の中が少しでも良くなるような活動の一端を、微力ながら担ってこれたのかなと思います。みんなの心の健康を願いつつ、少しずつ活動を積み重ねていくことが大切かなと思っていて。世の中はそんなにすぐには変わらないけれども、そういう積み重ねで、少しずつだけど自分も世の中に貢献できるのかなと思います。
―素敵です…!加藤さんの活動で救われた人はたくさんいると思います。
そうだといいね。
―ネットでネガティブなワードを検索すると、いのちの電話などの自殺予防ページが出てきますが、そういうIT上の工夫もされているんですか?
昭和世代なのでITのことは分からないけれど(笑)。WHO世界保健機関が20年以上前に出したガイドラインがあって、例えば有名人の自死の報道をする時には必ず相談できる窓口を出すとかね。日本の報道機関は昔は結構いい加減だったんですが、ここ10年ぐらいは必ず相談窓口を出すようにしていますね。
―よくニュースでも見かけます。
相談窓口としては、いのちの電話は別に専売特許ではなくて、幾つかある中の一つなんですね。いのちの電話の他にも、今、厚労省を中心とした新しい自治体の相談窓口があったり、民間のチャットとか、LINE専用窓口もたくさんあります。
―様々なツールで、色々な組織がセーフティーネットを張り巡らせているんですね。
いのちの電話は電話だから、若い人たち、例えば中学生とか小学生が相談したいとなったときに、電話はなかなか身近ではないですよね。一方で「電話でしかできない」っていう方もいらっしゃるので、one of themでいのちの電話があり、よりそいホットラインがあり、LINEがありというように、選択肢が多ければ多いほどたくさんの人につながりやすいので、それは良いことだなと思います。

奉仕ではない、自分のためになるボランティア。
―加藤さんのその奉仕の心は小さい頃からですか?
いや、小さい頃は本当にそんなことは考えていないと思います。まぁ当たり前だよね(笑)。ボランティアという言葉は高校生ぐらいの時に意識し始めたと思うんですね。
―YMCAに参加し始めた頃ですね。
当時はボランティアという言葉はあまり一般的ではなく、イメージ的にいうと、ものすごく特異で優れている、ある意味変わった人が自分の奉仕の気持ちで行動をするのがボランティアだった。そういう時代だったものの、YMCAで子どものためにゲームをしたり、歌を歌ったりするボランティアをやってみたら、すごく楽しかったんですね。自分にとってはボランティアは特別に偉い、凄い人がやるものだと思っていたけれど、自分でもできるし、ボランティアをやることが相手にとってどうかというよりも、自分にとって有益だと感じたんです。だからここまで続けられているんだとも思います。
―“奉仕”というより、“楽しい”や“有益”という感じなんですね。
そうだね。誰かから評価されるとかではなく、ボランティアは自分の中ですごく意味のあること、大切なことだと思ったから続けてこられたんだろうなと思う。ボランティアっていう言葉ももともとは意志とか自発性という意味なので、人から「すごい良いボランティアあるからやりなさい」って言われてやるのはボランティアではないんですね。
―自発的にやることがボランティアなんですね。
評論家的な言い方になっちゃうけど、日本の社会でボランティアが一般化したきっかけは阪神淡路大震災なんですね。「ボランティア元年」と言われています。ボランティアに参加する人たちの気持ちも、単に「奉仕してあげますよ」というよりは、参加して色々な出来事があって自分が嬉しかったとか、自分にとってものすごく有益だったということが認知されて、そこからボランティアという言葉が変わってきました。
―言葉のイメージが変わったんですね。
奉仕とボランティアってちょっと違うニュアンスがあるんですけど、奉仕というとなにかやってあげようとか捧げるようなイメージ。だけど、ボランティアは“共にやりましょう”なんですね。お互いにとってWin-Winじゃないとね。
―そうですね。Win-Winがいいですね!
いのちの電話でも、大変な電話もあるんだけれども、活動することで自分が満足感を得たり、仲間同士で大変だった気持ちを共有したりすることで、仲間同士のつながりができて、いのちの電話に関わらなかったら絶対出会えないような人と会えたことに喜びを感じたり。そういうことが良いサイクルになってボランティアを続けられるのだと思います。

