顔が見える仕事「こうした方がいいかなぁ…」
ー東京への出向で、今の仕事に活きていることはありますか?
同じ公務員でも、外務省職員などは「どんな仕事をしてるんだろう?」と思っていましたが、中に入って色々見られたことは良かったですね。今も国際交流の仕事をしているので、その時の知り合いに相談もできますし、大使館や領事館が「ここまではやってくれるだろう」というのも、何となく分かったりします。勘所が分かるのは、今の仕事にも活きているなあと思いますね。
ー国の仕事と、名古屋市の仕事、どちらが好きですか?
名古屋市の仕事の方が好きですね。
ーそうなんですね。
国の仕事は「大きくていいなあ」とは思います。でも、東京で会った何人かの若手が「国民があまり見えないので、自分の仕事がどう活きているかわからない」と言っていて、「確かにな…」と。それは外務大臣会合を通して再認識しましたね。
ー何を再認識したんですか?
外務大臣会合の会場が中区の名古屋観光ホテルだったので、「あそこに住んでいるのはこんな人たちだな」「こういう迷惑もかかるかもな」と、具体的にイメージすることができました。名古屋観光ホテルで働いている方も知っていたので「こういう対応にした方がやりやすいかな」と考えながら、顔が見える仕事ができたので、「名古屋市で働いていることが活きたなあ」と思います。こういうことが、モチベーションになりますね。
ーなるほど。顔が見える仕事、いいですね。外務省などで働いていると、国民というより、もっと大きな所を見て仕事しなきゃいけないという感じがあるのかもしれないですね…。
そうそうそう。ただ、大使館とか領事館では、海外に住んでいる日本人のためや、日本企業の進出のために働くとか、そんな現場はあるそうです。「現場に出ると考え方が変わるよ」と、外務省の人が言っているのを聞きましたが、海外に出ずに日本で6年間働いている若手もいるとのことで、「自身自分の考えがよく分からなくなる…」という状態になる人もいるそうです。
ー大変な仕事ですね。
大変ですね。夜も、本当に遅いですからね…。
ーどれくらい遅いのでしょうか?
遅い時だと、深夜3時くらいの帰宅がずーっと続いた時がありましたね。
ーえ?3時!え〜〜!
3時くらいに終わって、タクシーで帰って…。9時半前には出勤して、また3時まで働いて、土日も出て…それが、2週間続いたかな…?
ーひぃ!激務ですね!
外相会合とかサミットの時は、2・3日くらいはロクに寝られなかったです(笑)。ホテルを取っているんですけど、シャワーを浴びて着替えてまた出勤みたいな感じですね。みんな、同じようなことを言っていますね。
ーそんなに寝られないんですね…。
僕は名古屋市の身分だったのでいいんですけど、国の人たちは残業代が厳しいみたいで…。「寝ずに働くのに大変だなあ」と思いましたね。違う世界でしたね。
ー各国のトップがテレビに出ている裏側で、みなさん大変な思いをして仕事をしていたんですね。
そうですね。そういうことも含めて勉強になり、面白かったです。
ー貴重な経験ですね。外務省から帰ってきて、価値観が変わったことはありますか?
東京に染まったり?妻の方が「東京のオンナ」みたいになっていました(笑)。僕は「何も変わらんね」と言われます。自分でもそう思います。でも、帰ってきて変わったのは、夜遅くまで働くことに慣れてしまって、子どもが産まれるまでは、よく終電ぐらいまで猛烈に働いていましたね。
「適当な子育て」と「ワークライフバランス」
ーお子さんが産まれて、変化があったんですね。
そうですね。子どもが欲しいかどうか、よく分からなかった時期もありましたが、東京で妻も僕も考えが変化した気がします。名古屋の人って実家が近いこともあるからか、すごく丁寧に子育てをする家庭が多い印象だったんですね。東京で仲良くなった友達は、言葉を選ばずに言うと…「結構適当に子育てをしている」ように見えた人が何人もいました。そのお陰で、子育てに対する気負いがなくなり、「子どもがいたら楽しそうだね」「子ども欲しいね」となりました。
ーある程度の「適当な子育て」、私も大事だと思います。
そうですよね。その後、奇跡的に赤ちゃんを授かりました。当然なんですが、妻は、お腹にいる時から赤ちゃんを感じているのに、男の方はあまり実感できないので「動いた」と言われても「うん…お腹、大きくなったねー」て感じでした…。でも、赤ちゃんが出てきた時は感動しましたね。結構うるっときました。「ホントにいたんだー」とも思いました(笑)。
ー分かります。女の私でも、ホントにいたんだなって思いました(笑)。
生まれてから3週間くらいお休みをいただいて、一緒に子育てをしました。ずっと家にいる状況を作れてよかったなと思います。

ー男性の育休、いいですね!
あと、「可愛いなあ」と思うので、早く帰るようになりました。子どもが産まれてから、終電まで働いたのは2回くらいしかないですね。後は、メリハリを付けて、お風呂の時間に間に合うかどうかで決めています。子どもとお風呂に入れる時間に帰れるなら頑張って帰って、間に合わないなら働くという感じです。
ーそれ、いいメリハリですね。
それから…そんなに辛いとは思っていませんが、やっぱり自分の時間は無くなります。自分よりも子どもに時間を使っている状況が、変わったなあと思いますね。
ー飲みに行くのも減ったり…?
そうですね。コロナ禍もあって、ほとんど飲み会はなくなりました。子育てには、良いことかもしれませんね。
ー切実に、そう思います。私は1歳と2歳の子どもがいますが、パパの飲み会が多かったら、喧嘩になっていると思います… (笑)。
コロナの感染症対策がきっかけで始まりましたが、今は「ワークライフバランス」を重視しようという動きも活発になり、在宅勤務ができるようになったので、子どもの近くで働けて楽しいなと思っています。今はまだ、9か月だから、もう少し大きくなったらどうなるか分からないですが…。
ーZoom会議とか、子どもが大きくなると賑やかすぎてできない可能性もありますからね(笑)。子ども中心の生活へと、大きな変化があったような感じですね。
変わりました。柵を作るなど、部屋の模様替えもしました。普段、僕らがくつろいでいた場所を子どもに明け渡した感じになりました。それから、起きる時間が早くなりますよね。5時半とか、下手したら4時台に起きていますからね…。そうすると、夜も自然と眠くなるので、早いと10時くらいに「もう寝よう」となりますね。
ー早いですね〜!でも、夜に早く寝ると、本当に自分の時間がないですよね。ストレスにはなりませんか?
そうですねえ…最近はサウナに行ってないし…。本を読むのも好きだったんですけど、時間がないので買うのも控えるようになりました。「もうあと24時間あったらな」と思います。
ー24時間も!(笑)
でも、子どもが可愛いなあと思うので…あまりストレスにはならないです。今、国際系の仕事をしていることもありますが、先日も子どもに関するアフガニスタンのニュースが目に止まり、「子どもがいなかったら海外の人権問題もこんなに考えなかったなあ」と思ったりします。そういうニュースに感情が入るようになったのも、子どもが生まれたからだと思いますね。そこも変わったところですね。
ーお子さんが大きくなったら一緒にしたいことはありますか?
海外の友達の所に行きたいですね。名古屋に住んでいたドイツ人とニュージーランド人のカップルが、今はニュージーランドのオークランドに住んでいて「早く来なよ。泊めるよ!」と言ってくれているので、行きたいなあと思っています。
自分を変えた出会い「何だこの人は!?」
ー深尾さんの「自分流」はありますか?
長野県塩尻市役所の職員で山田崇(たかし)さんという人がいまして、「元ナンパ師」とか「日本一おかしな公務員」で検索するとトップで出てくる人なんですけど、尊敬している先輩です。6年以上前に出会ったことが、僕の仕事の大きな転換点だったなあと思います。「ターニングポイント」とも言えますね。
ーどんな方なんでしょうか?
山田さんはとても行動力のある公務員で、「空き家」の問題が出た時、「空き家問題って何だろう?」と思って自分で商店街の空き家を借りるところから行動を始め、様々な取り組みをしてきた方です。山田さん自身は、塩尻市の「市民交流センター」の開設時に市民とのすれ違いや反発などの壁にぶつかるような経験があって、仕事との向き合い方が変わったと聞きました。今だと「MICHIKARA(http://michikara.com/index.html)」が有名かな。民間企業と一緒に塩尻市の社会問題を考える合宿をやっているようです。ソフトバンクも立ち上げから関わっているとのことでした。民間企業から様々な人が塩尻市に来て、社会課題を解決するためにどうするかを話し合い、企業の方のフィードバックをもらう企画もありました。
ー市役所の職員さんとは思えないような、幅広い活動ですね。
そうですね。僕は、その人と会ってしまったがゆえに、自分の仕事に対する向き合い方とかやり方が「変わったなあ」と思います。以前からよく飲み会をしていましたが、山田さんと出会ってからは「外との関係性を自分の仕事に活かせないかなあ」とか「自分の街がこうなったらいいんじゃないか」と思い、街づくりに関係する人と頻繁に飲むようになりました。
ーなるほど。深尾さんのフットワークの軽さに影響していそうですね。
山田さんは「達成したい目的が明確にあれば、やり方は色々あるよ」ということを実際に仕事で示している人でした。市役所の予算内で考えることが当たり前だったので、自分が知らない間につくってしまっていた枠が「パッ」と取れた気がします。
ー山田さんにはいつ頃出会ったんですか?
28歳くらいの時です。職場の先輩から「深尾君、これ好きそうだから聞いてきなよ」と言われて「あ、そうすか」って講演を聞きに行ったら「何だ、この人は!?」ってなりました。
ー先輩の勧めだったんですね!
はい。山田さんにとっては、まだ講演会の走り出しの頃だったと思います。講演会の最後に「誰か僕をナンパしてくださいね」と言われたので、終わってから真っ先に名刺を持ってナンパしに行きました。「今日の夜、空いてますか?」と。その夜は4件ぐらい連れまわした気がしますね(笑)。
ーすごい(笑)。
その時、「僕も塩尻に遊びに行きまーす」と言っちゃったので、翌月に本当に行きました(笑)。空き家のプロジェクトで「大掃除なのだ」というイベントがあるということで「えーちゃん(深尾さん)来なよ」と誘ってもらいました。それから、東京に赴任した初日から、山田さんに誘われてイベントに参加しました。汐留の大手企業が集まるような交流イベントに、ホイホイって行って…そこでも色々な出会いがありましたね。
ー東京は人が集まるイベントが多いですよね。
多かったですねえ。変わった人いっぱいいました。東京で生活してみて、東京のブラックホール感が良く分かりました。「何でも吸い込んでるな、本当に」と思いました。
ー「これは何の会だろうなあ?」という集まりに行った時に、「すごい企業の社長がいた!」ということもよくありますよね。そういう繋がりが東京の街の課題解決につながっている印象です。余談ですが…paletteもそんな媒体を目指したいと思っています。
ありがとうございます。僕もそういうものが欲しいと思っています。フューチャーセッションズという会社が「渋谷をつなげる30人」と言って、渋谷に関係する30人を集めて、「渋谷の街の課題を解決します」と活動していまして、「あ、これすごい良い」と思いました。名古屋でもやろうと、中区役所にいた時に企画をしました。異動があって最後までできなかったのですが、志を引き継いでくれる人が「ナゴヤをつなげる30人」として実施してくれました。市役所だけではできないことはいっぱいあるので、皆でやっていきたいですよね。そういった輪がいくつも出来るといいなと思います。
ーそうですね。いくつかあるといいですよね。
今、前例作るから、それが前例でいいじゃ〜ん
ー山田さんの話しに戻りますが、深尾さんも山田さんの講演会を企画したそうですね?
はい。名古屋市役所の若手職員100人集めて、山田さんに講演会をしてもらいました。勝手に「35歳までにしまーす」と言って「山田さんを囲む会」みたいな形にしました。
ーそうなんですね。深尾さんも、「名古屋市役所の山田さん」的な存在なのかもしれないですね。
でも、20代後半だった当時の自分は、山田さんみたいに行動はできていないと思っていました。そんな僕に、山田さんはこう言いました「えーちゃん、これだ!と思うものがいつか見つかるよ。俺、こういう活動を始めたのが37か38歳だから」と。それから、「そんなに焦って何かをやるよりは、ちゃんと名古屋の事を見ていけば、自分がやらなければと思うことが見つかってくるよ。仕事以外の時間を使ってでもやりたいことに取り組む時が来るんじゃない?」とも言われました。

ー山田さんご自身の経験を踏まえたアドバイスをくれたんですね。かっこいいですね。
ですよね。僕もそろそろ、その時の山田さんの年齢になるんですけど…。まだ「これをすごい頑張った!」というものはないですね。生活が色々変わったこともありますし。市役所の王道からは多分、外れていますし…。
ーえ!そうなんですか?出世コースから外れているということですか?
はい。変わってるので。
ー(笑)。どう変わっているのか、詳しく聞きたいです。
(笑)。そうですねえ…。市役所では前例を踏襲をすることが多いですが、僕は「なんでもウェルカム」な感じでやっています。役所の仕事って、続けていく必要があることが多いので、基本的には前例の踏襲でいいんだと思いますが。
ーなるほど。
役所に関わる色々な事件もあるので、話しにくいですが…役所の人って、民間との付き合いがすごく難しいんですよね。お金や規約に絡んでくることもあって、一般の市役所の職員はあまり積極的に外の人と交流を持たないんです。県庁の人とすら、飲みに行くこともそんなにないです。そういったこともあり、「市役所の中だけ」「自分の部局だけ」という考えで仕事をしてしまいがちな所があります。
ー確かに、そんなイメージです。私もNPO職員をしていたとき、県庁の職員さんを飲みに誘っても、頑なに断られてしまった経験があります…。
ですよね。僕は「仕事はこうだから」というのはあまりなく、新しい事業をやるのが好きで、今もヨーロッパと関わるような新しい事業の企画をしています。新しいことを企画すると、上司も部下も「深尾さん、でも、去年は…」という反応が多いですね。「いやまあ…でもやった方がいいんじゃない?」と返してしまいますが(笑)。仕事があまり増えないようには気をつけています。
ー「前例は?」という会話になりがちですよね。
そうそう。「前例…。今、前例作るから、それが前例でいいじゃ〜ん」みたいな感じで、色々やっちゃいますね(笑)。
ーそうなんですね…(笑)。
先輩からは「悪目立ちするから気を付けてね」と言われますね。愛のある形で言ってくれるので助かりますが(笑)。
ー入庁された頃からそういう感じだったんですか?
いやあ、やっぱり山田さんと出会った時からです。入庁した時は9時から5時までの勤務だと思っていましたし、言葉を選ばずに言うと、この仕事をちょっと舐めていた気がします。真剣に仕事に向き合えるようになったからこそ、色んな仕事のやり方をしているのかもしれません。山田さんに出会ってからは大きく変わりましたね。
ー仕事への向き合い方の変化にも、山田崇さんの影響があるんですね。
そうですね。
ーちなみに、学生の時の深尾さんは変わっていたと思いますか?
まじめな学生でなかったことは自覚しています。単位は「取ればいい」と思っていたので成績は良くなかったですね。ギリギリの卒業だった気がします。親にお金払ってもらって、「申し訳なかったなあ」と思っていましたが、僕がまさか公務員になるなんて思っていなかったので、親には「俺らの払った金は無駄にならなかった気がする」と言われますね。
ーそんなかんじだったんですね(笑)。