風のようにしなやかに生きる
理知的な気象と防災の専門家

現在、アメリカのロサンゼルスで気象予報士・気象防災アドバイザーとして活躍する太田絢子(おおたあやこ)さん。損害保険の会社員時代に度重なる自然災害の被害を目の当たりにした経験から、「被害を最小限にできるように、自分の声で天気予報を伝えたい」という思いで転職。NHKやCBCテレビで気象キャスターとして仕事をされていました。アメリカへ転居後も、気象や防災に関する知識を活かし、メディア出演、記事や書籍の執筆等をされています。私たちに身近な天気や防災のこと、そして仕事の選び方や女性としての働き方等、興味深いお話をたくさん伺いました。

きっかけは中学の授業、気象って面白い!

―自己紹介をお願いします。

はい、太田絢子です。気象予報士です。今はアメリカに住んでいます。

―この度は来日のタイミングでインタビューの時間を作っていただいて、ありがとうございます!CBCテレビ(中部日本放送株式会社)の番組「チャント!」で気象キャスターをされていた時期には、テレビでよく拝見していました

CBCテレビ時代の太田さん

ありがとうございます!

―今はアメリカのロサンゼルスで、ご主人とお子さんと暮らしていらっしゃるとのことですが、ご主人のお仕事の都合ですか?

そうですね。私はアメリカでは本を書いたり、執筆の仕事等をしたりしています。

―先日、まさに絢子さんが執筆された天気に関する新聞記事を読みました!アメリカにいながら、日本のお仕事もされているんですね。

知り合いからの紹介のお仕事が多いです。

―気象予報士には、いつからなりたかったんですか?

ずっとなりたかったんです。中学生ぐらいの時に興味を持ったのですが、受験等で忙しかったので、「大学生になったら気象予報士の資格を取ろう!」って思っていて。大学生になって勉強し始めました。

気象キャスター時代の太田さん(オアシス21と中部電力MIRAI TOWER)

―気象予報士の資格ってとても難しいと聞いたことがあります!

おそらく皆さんが思っているほど、難しくはないんです。

―え?そうなんですか?合格率もすごく低いですよね?

合格率で言うと確かに5%ぐらいなのですが、試験は3種類あって、それを全部取ると合格なんですね。1回で3種類全て取る人はあまりいなくて、大体1種類ずつ取る人が多いので、それで合格率がより低くなってしまうのだと思います。

―なるほど。そういう仕組みなんですね。気象予報士の資格について知ったきっかけは?

中学生の時に、予備校で“前線”について勉強した時に面白いなと思ったんです。

―中学生ですか!梅雨前線とか習ったような…。

そうそう。その時に資格があるのだと知って、一般的には確かに難しいと言われているから、「挑戦したい」と思ったのかもしれません。

―既にその時から資格に興味を持たれていたんですね!

でも、それを仕事にしようとは当時は全然思っていなくて。「勉強してみたいな」という興味が強かったですね。資格って、ゴールが分かりやすいから取り組みやすかったということもありました。

―きっかけは予備校の授業だったんですね。具体的に、前線のどういうところが面白いと思ったんですか?

例えば、温暖前線と寒冷前線で雨の降り方がちょっと違うんですけど、それに理由があることが面白いと感じました。それに、気象は人の手では変えられないので、その奥深さにも興味を惹かれました。

―確かに。まだ解明されていないこともたくさんあるでしょうし、とても奥が深い分野ですよね。前線に興味を持つとは、面白いです!

チアと気象をやりたい!悩みながらの就職活動

―大学でも気象の勉強をされていたんですか?

はい。早稲田大学在学中に気象予報士の資格を取りました。

―素晴らしいですね!大学時代はチアリーディングもされていたとか?

高校生の時に行った、南山大学の文化祭で、チアを見て「やりたい!」と思いました。「大学生になったら、チアと気象予報士(の勉強)を頑張りたい」というのが私の夢でした。東京の大学に進学したい気持ちがあったので、東京六大学のいずれかの大学に行きたいと描いていました。

―東京六大学とは?

「東京六大学野球」というリーグがあって。早稲田、慶應義塾、明治、法政、東京、立教の6つで構成される野球リーグです。

―なるほど!

その中で自分に一番合いそうだった早稲田大学に進学しました。

―大学卒業後は、損害保険会社へ就職されたとお聞きしました。

自分がどう働きたいかは上手くイメージできていなかったんですけど…。その会社だったら結婚・出産しても続けている女性社員が多く、長く働くにしても、制度や選択肢も多いので良いなと思いました。何人かの知り合いの先輩がそこの会社に就職していたのも大きかったです。

―大企業なので安定性もあるし、制度も充実していますよね。

あと、日経新聞の証券部でアルバイトをしていた大学生の時に、いろんな企業を見ていて、自分の生活がこんなにたくさんの会社に支えられているんだと知りました。その観点でいうと、損保にお世話になっていない人っていないと感じて。だから、「損保っていいな」って思いました。

―確かにそうですね。

一人でも多くの生活を支えるような仕事が良くて、損保はインフラ系ではないけれど、就活中の志望業界はインフラ系をよくみていました。

損保というと気象も関係するのでは…?

そうですね。保険金のお支払い部門は大きく分けて、自動車保険と火災保険に分かれていて、特に火災保険は気象災害と大きく関係しています。私は自動車保険部門だったので、できれば火災保険もやりかったです。もっと言うと、天候デリバティブという、企業やテーマパークが気象による損失を被った時のための保険もあって、興味があったのですが、部署が東京にしかなくて叶いませんでした。

―東京で働くことは考えなかったんですね。

当時は地元で就職したいと思っていました。

―絢子さんは、モチベーションについてとか、人生や未来のことをよく考えている方なのだなと感じています。

うーん、モチベーションについてはあまり考えていなくて。単純に「子育てと仕事を両立させるのは自分には難しそう」っておそらく感じていて。だから、選択肢をできるだけ多く残すようにはしていたのかもしれません。なので、出産後も仕事を続けていて、自分が一番驚いています(笑)。

太田さんと娘さん

―大学生の頃から、結婚や子育てがある人生を描いていたんですね!

そうですね。小さい時からそうかもしれません。

―意外です!日経新聞のアルバイトでは、どのような業務をされていたのですか?

テレビや新聞社のメディアには、記者が書いた原稿をチェックしているデスクという役割の人がいるんです。

―編集者みたいなかんじですか?

はい。そのデスクの業務補助をやっていました。新聞を配ったり、記者を電話で呼び出したり、ゲラ(試し刷り)のコピーを取ったり。

―そうなんですね。テレビのお仕事を見据えていたのですか?

そうじゃないんです。私多分すごい心配性なんですよね。就活を失敗したくない思いがあって。気になる業界は全て見ておこうという意識が強かったのだと思います。

頻発する災害に対するもどかしさ「自分の声で伝えたい」

―なぜ、テレビ局に転職を?

損害保険会社で働いていた時、雪の日は事故数が大幅に増えていました。私はすごく不思議だったんです。「雪が降る」って言われているのに、なんでみんな、車で出かけるんだろうって。

―確かに。ニュースを見た全員が気を付けてくれたら、事故は最小限になりますよね。

天気予報が生活に活かされていないことが、すごくもったいないなと思いました。

ー近年は自然災害も、すごく多いですよね。

特に平成26年(2014年)に広島の土砂災害が発生した頃から、自分も含めてですが、課の誰かが災害応援で毎年不在となり、忙しい日々が続いていました…。繁忙度が高い状態がずっと続く中、2016年に熊本地震が起きて、次にまた誰が応援に行くのかという話になった時、「これいつまで続くのかな」って改めて茫然としたんです…。

―その頃は特に、記録的な大雨による土砂災害や、台風、地震が頻発していましたね。

自分が応援に行かなくても、人が抜けると忙しくなるから、凄く大変でした。それだけ自然災害で困っている人がいるのに、災害も一向に減らず、そのもどかしさを強く感じました…。

―私も当時同じ会社にいたので、災害が起こる度に会社全体が疲弊していたのを強く覚えています。(miho)

「天気予報がもっと生活に生かされたらいいのに」と思って、自分で直接伝えられる気象キャスターという仕事に興味を持つようになりました。

―そういった課題を解決したい気持ちで、転職されたんですね。

実際はそんなに簡単じゃなかったので、世の中の流れを変えるのは難しかったですが…。損保を辞めて、愛媛のNHK松山に行くことになりました。退路を断った方がいいかなと思って、実は決まる前に損保を退職しました。

―おぉ!退路を断っていますね!絢子さんの行動力、すごい!

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