誰もが存在するだけで価値がある
より良い居場所を作る先導者
べにしだの家(社会福祉法人あさみどりの会)で、福祉士として障がい者の生活支援等をされている仲畑芳紀(なかはたよしき)さん。福祉業界が抱えている、障がい者への偏見や人材不足等の問題は、「世の中との接点の少なさや、その出会い方に原因がある」と話します。ふさぎこんでいた時期に、“そのままの自分”でいいということに気付かせてくれた男の子との運命の出会い、現在力を入れているライブイベント「LIVE YOU」やアート活動の効果等、今後の福祉業界を見据えながら、その熱い思いを語っていただきました。
障がい者の人生を考える。二十歳で酌み交わしたい酒
―自己紹介をお願いします。
仲畑芳紀(なかはたよしき)と申します。障がい者の施設で働いていて、もう15年くらいになります。今は「べにしだの家」べにしだの家 | 愛知の社会福祉法人あさみどりの会(障害者 障害児 支援 療育)で働いています。

―主なお仕事内容は?
障がいを持った方の生活を支えることはもちろん、仕事等の日中活動の支援もしています。障がい者の方たちのアートのことを「アール・ブリュット*」というんですけど、最近はそういった表現活動を世の中に広めることにも力を入れています。
*「生の芸術」を意味するフランス語。日本では、主に障がいのある人・子ども・素人芸術家らの作品を指す。

―「アール・ブリュット」、いいですね! 15年間ずっと「べにしだの家」にいらっしゃるんですか?
いえ、間の8年ぐらいは、障がいを持った子どもの施設でも働いていました。障がいのあるお子さんを持つお母さんたちの気持ちを聞く機会も多かったので、すごく勉強させていただきました。そこでの経験が今の仕事にも生きています。
―障がいと言っても、子どもと大人では違いもありますよね。アートの表現活動は、子どもの施設でも取り入れていたんですか?
子どもの施設の時は、おしっこの仕方を教えたりするような生活介助がほとんどだったので、表現活動等はしていませんでした。施設に来ていた子たちは、時間をかけてトイレットトレーニングをしてもなかなかできなかったり、トイレですること自体が難しかったりする子が多かったんです。お母さんたちとお話して、トイレのタイミングの記録をとったりして、どうやったらできるようになるか、試行錯誤していました。できた瞬間はみんなでいっぱい褒めてあげて、少しずつですが成長を見守る、ということの繰り返しでしたね。
―成功の瞬間を想像すると、すごく温かい気持ちになりますね。
障がいを持っていると、ご飯は白いものしか食べられないとか、逆に白いものは食べられないとか、そういう偏食傾向のある子が多かったり、さまざまなタイプの子がいるんです。でも、それは経験不足が原因であることがかなり多くて。一つの経験を受け入れることに、健常者より時間がかかるだけなんです。
―さっきのトイトレ(トイレットトレーニング)のお話も、シンプルに考えれば、健常者より時間がかかるだけですもんね。
そうですね。トイトレや食事等の目の前のことに限らず、「どんな子に育ってほしいですか?」とか、そういう将来の目標やご両親の願いとかも聞きながらじっくり関わっていました。
―仲畑さんの子どもたちを思う優しさが伝わってきます。本当に個性豊かですよね。私もYMCAという組織で、障がいを持った子たちとキャンプに行ったとき、クルクル回る椅子で永遠に回っている子とか、ずっと電車の名前を言っている子とかいて、すごく可愛かったのが印象的でした。(なる美)
まさにそんなかんじで、いろんな子がいましたね。もう300人くらいは会わせてもらったかな。でも本当に1人ひとりのことを深く覚えていますし、「どうやって関わったら、この子にとって良い人生が送れるんだろう」という視点で関わらせてもらっていましたね。
―1人ひとり、誠実に向き合ってこられたんですね。
極論、物が食べられる食べられないっていうことも、ある程度栄養がとれれば、将来的に考えたら割とどうでもいいことなんですね。ただ、「本人にとって、白いご飯しか一生食べられないのはちょっと寂しいかな」っていう、ご両親の思いや願いもあったりするし、やっぱり選択肢を増やしてあげると、より豊かになりますよね。

―確かに。
大人になった時に、居酒屋に行ったら、お酒も飲めて、美味しいものがたくさん食べられるといいかなって。当時の僕の夢は、担任させてもらった子ども達が二十歳を迎えた時に、一緒に居酒屋に飲みに行くことでしたね。「うまいもん世の中にたくさんあるから、今頑張って食べる練習しようよ~」とか思いながらね。
―その夢は叶いましたか?
厳密に言うと、まだなんです。うちの施設って、高校までの学童時期を全部カバーさせてもらってるんですよ。最初は普通の保育園と同じで、早い子で2歳半ぐらいから入って、年長さんになったら卒園だったんですけど、20~30年くらい前、国の制度が出来る前から、全国でも先駆けて小学校1年生から高校3年生まで支援していたんです。
―そんなに長く関わってくれるんですね。
だから、僕が就職した時に小学校5年生だった子は、もうちょうど二十歳になっていますが、2~3歳ぐらいの入所時から関わらせてもらっていた子は、今高校生ぐらいで、あと数年で二十歳を迎えますね。
―ではまさに、思い描いていた場が、そろそろ実現するかもしれないんですね!
そうですね。楽しみです!
―障がい福祉の分野で、子どもたちに「二十歳になったら一緒にお酒飲もうね」って言って関わっている人ってなかなかいないのでは?
直接その子たちには言わないですけどね(笑)。でも、ご両親には言ってましたね、「一緒に美味しいものを食べに行きたいんですよね」って。
―ご家族も、そんな風に思って接してくれているんだと思うと、嬉しいし、安心して任せられるんじゃないかと思います。
今でも、親御さんたちとの繋がりはずっとありますね。
―素敵な関係ですね。“障がいを持った方の人生を一緒に考える”という支援の考え方が、現在の仲畑さんのお仕事にも生きているんですね。

栄光の学生時代から一転、心を閉ざした過去
―福祉業界に入ったきっかけは?
話すと長くなるんですが…。僕、小学生時代は、野球とかソフトボールをやっていて、全国大会に出たり、一軍や二軍があるような大きいチームのキャプテンをやらせてもらったりして、自分の中では栄光の時代だったんです。
―全国大会ってすごいですね!それは間違いなく栄光!
小学生時代の話なので恐縮なんですけど、一応そのまま中学生の時も野球を頑張ってやっていたんです。でも、中2の途中ぐらいから、それまで頑張ってきたものがなぜか嫌になっちゃった時期があって…。自分の強い意志ではなく、お兄ちゃんがやっていてなんとなく始めたはずだったのに、もう辞められないような状況になっていて…。
―本心はやめたいけど、辞められないって、ありますよね。周りの反応も気になりますし。
振り返ると、勉強も割と良い成績を収めていたので、野球も勉強も全部やらなきゃいけないようなプレッシャーを感じて、すごく辛かったんだと思うんです…。当時は、近しい友達こそ会いたくなくなっちゃったんですよ。

―良い生徒のプレッシャーでしょうか…。辛いですね。
高校に進学する前に、本当にひきこもりに近い状態になって、「もう学校に行きたくない」って初めて思って。それまでは、どちらかというとクラスの中心みたいな感じだったのに、人とのコミュニケーションに疲れてしまって、自分のことを知っている人がいない高校に行きたいと思ったんです。
―“今の自分”が嫌だったんでしょうか…。
良いタイミングだったので、仲良いメンバーが行かない高校に入りました。でも高校時代も、普通に友達もできたんですが、気持ちが上がりきらず…。「なんか人といるのって楽しいけど疲れるな。1人の方が楽なのかな、そういう自分の方がいいのかな?」とか、悶々と考えていました…。
―高校でもスッキリせずに、過ごしていたんですね。
そのまま大学進学の時期になって、どこに進学するか悩んだ時、ジブリとか自然が好きなこともあって、最初は浅はかな興味で環境系の大学に行こうかと考えていたんです。ただ、調べていたら、木を一本植えても結果が出るのが1000年後…みたいな(笑)。環境分野の奥深さを思い知って…。
―奥深い(笑)。思っていたのと違ったんですね。
その時にテレビかなんかで福祉の仕事を見て。「福祉か、“人”って自分にとってどうなんだろうな。」とか色々考え、迷いもしましたが、福祉の仕事がこれから求められると言われていた時代でしたし、日本福祉大学という“福祉だったら一番”と言われていた大学に入ることを決めました。
―そうなんですね。仲畑さん、中学生の頃から“自分の心”とすごく向き合っていますよね。
どうですかね、その時は、ただ「辛い」とか「会いたくない」っていう、本当にシンプルな感情だったような気がします。周りの友達の方が上手に野球しているのを見て、自分は上手く活躍できなくなって悔しい気持ちが強かったですね。
―栄光の時代を経験されているから、余計に感じますよね。
そう~!その状況からただ逃げ出したかっただけなのかなと思います。ただ、あの時代があったからこそ、今の自分がある、と今はポジティブに捉えてます。当時は、全国大会とかに出ると、新聞やテレビ、地方のケーブルテレビなんかの取材が次々ときて、「一生懸命頑張るぞー!」みたいなことを言わされていました…(笑)。それが本当に緊張したし、楽しいとは全く思ってなかったし、嫌だったんです。
―そうだったんですね。結果を取ることは、やりがいを感じていたんですか?
どうなんでしょう。今となっては小学校、中学校時代でさえ、使命感だった気がします。
―何かを背負っていたんですね。
周りの期待に応えたいとか、友達が「頑張ろうよ」って言ってるから頑張る、みたいな。
―みんなが喜ぶから頑張る?
そうですね、その感覚の方が強かったですね。その感覚は今もあるし、悪い感情ではないんですけどね。本当は、他の子が家でゲームをやっているのをすごく羨ましく感じていました。
―無理していたんですね~。すごく頑張っていたんですね。
小学校がマンモス校だったから、1000人ぐらいの全校生徒が体育館に集まる中で表彰されたときも、「かっこいいね」、「すごいね」って言われる嬉しさよりも、緊張の方が勝ってましたね。
―期待を裏切らないようにしなきゃいけない、まさに使命感ですね。
小学校6年生ぐらいから多分そのモードになっていたんだと思います。
―キャプテンになったのも、もしかして推薦ですか?
そう、推薦だったんですよ。「やります」って言った覚えもないんですけど(笑)。
―自分が思うペース以上に、周りの環境が進んでしまった感じがありますね。気持ちがついていかなかったんですね。
―ご両親との関わりはどうだったんですか?
根本的に2人とも優しさは持っていますが、母は厳しい面も多かったですね。礼儀に関しては、母がすごく注意してくれていました。父は家では優しかったんですが、部活のコーチでもあったので、部活の時は“家でのお父さん”ではなくて、むちゃくちゃ厳しいんですよ。「え、本当にお父さん???」みたいな(笑)。
―普段優しい方なら、ギャップが激しそうです(笑)。
やっぱり、保護者も含めて「みんなで頑張るぞ!!!」ってなっているので、キャプテンの意識も持ってもらいたかったんでしょうし、「しっかりせい!」って感じで、部活の中ではすごく厳しかったですね。でも、それも今思うと、当時はちょっと嫌だったのかもしれないですね。
―そんなに厳しくされたら、家で甘えられなくなっちゃうかも。
父は家には持ち込んではいなかったですけど、中学生ぐらいの時に、「お前、勉強も野球も全然できなくなっとるじゃないか」みたいなことを言われて。そこからすごく気持ちが落ちたのは覚えています。

―自分でも思っていたことを言葉にされると、辛くなっちゃいますね。
逃げ場がないというか、自分の居場所がなくなっちゃったような感覚はすごくありました。友達も仲良かったけど、野球つながりの友達だったので、野球は辞められなかった。だから、高校からは離れたんですね。その時は野球をやっていなくて、ゲームばっかりやっているような友達といた方がすごく楽でしたね。
―すごく真面目な方で、親や周りの期待に沿えるように頑張ってこられたことが伝わってきます。結果を出さないと認められないと、どんどん思い込んじゃった感じもしますね。
そうですね。
素の自分を求めてくれた、自閉症の子との運命の出会い。
―福祉との最初の出会いは大学だったんですね。一時は「人に会いたくない」とまで思いながらも、結局は人と密接に関わる福祉の分野に興味を持つというのは、面白いですね。
でも、年齢的にも将来のことなんてよくわからなかったし、最初は志も全然ありませんでした。恥ずかしながら、“自閉症”とかそういう言葉すらも、全然知らなかったんです。
―福祉分野は、最初は本当に未知の世界だったんですね。
―大学入学後に福祉業界に就職するまで、どのような気持ちの変化があったんですか?
大学に入ってサークルを選ぶ時に、「野球をもう一回やろうかな」とも、よぎったんですが、やっぱりそこまでのやる気は出なくて。「なんとなくボランティアサークルかな?」ぐらいの気持ちでボランティア系のサークル活動に興味を持ちました。最初はその程度の気持ちだったので、今思うとめちゃめちゃ申し訳ないんですけどね。
―なんとなくでもまずは興味を持つことが大事ですよね!
「何個か覗いてみて、良いと思うところがあれば入ろうかな」と思って、一個目に覗いたところが「(障がい児者保育問題研究会)どんぐりの家」というサークルでした。そこで初めて活動に参加した時に、自閉スペクトラム症*の子と出会ったのですが、その子が僕の人生を変えてくれたんです。
*対人関係が苦手であったり、物事に強いこだわりを持つ等の特徴をもつ、発達障がいの一つ。
―サークル活動に参加したことで、運命の出会いがあったんですね!

当時彼は小学校5年生ぐらいだったんですけど、もう最初は、めちゃくちゃ噛まれるし、髪の毛も引っ張られるし、トイレやご飯も介助が必要で、学生が見れるか見れないかっていうぐらいの重度の障がいの子だったんです。
―噛まれたんですね…!小学校5年生だと体も大きいでしょうし、大変そうです…。
それぞれ担当が決まっていて、大学の4年間1人の子につくことになっていたんですね。僕は全然知識もないまま、その子の担当に選ばれたんですが、その子には、過去に担当がついても辞めちゃったりして、先輩がいなかったんです。
―えぇ…。もう本当に、一からですね。
サークル活動なので、月1、2回しか会わなかったんですけど、回を重ねるうちに徐々に懐いてくれたんです。僕の顔を見るとめちゃくちゃ笑ってくれたり、僕が走り回ると、後を楽しそうに追いかけてくれたりするのが、すごく嬉しくて。
―楽しそうに遊んでくれる仲畑さんが大好きだったんですね。
その子が本当に真正面から“素の自分”を見てくれて、求めてくれたことが嬉しすぎましたね。自分が生きている感じがしたというか。その瞬間に、当時はそんなつもりは全くなかったけど、これまで自分は友達とか部活の先生たちに気を使いながら、表面的に付き合っていたのかなって、やっと気づいたんです。

―本当の自分を出せていなかったことに、その子のおかげで気付いたんですね。
サークルでその子と一緒に1泊旅行やキャンプに行く時は、不安だったからだと思うんですけど、僕の膝の上にずっといたりしてくれて。サークルの学生は他にも約60人いたんですけど、自分とずっと一緒にいてくれたことがすごく嬉しくて。心で通じ合った体験が初めてできたんですね。
―ただ存在しているだけで必要とされているって嬉しいですよね。
それから、福祉にはまっていって、「何かこの子のためにできることないかな」と意欲的に考えるようになって、卒論のテーマにもさせてもらいました。
―自然と意欲的に考えるようになったんですね。
家にも1、2回お邪魔させていただいたんですけど、当時は本当に悲惨な状態だったんです。トイレも上手くできないので、その辺に漏れていたりして、処理が追いつかない程で。ご両親も本当に大変そうで、何とかすがる思いで繋がったのが、サークルの活動だったようです。
―子どもが心を許せる人が一人でも多くいてくれると、ご両親にとっても本当に心強いですよね。
実際、施設に入ろうとしても断られることが多かったみたいで、ご両親は将来に凄く不安を感じていて。なんとかしてあげたかったんですけど、当時の僕は大学生で、支援の仕方が分からなかったので、上手い返しができなかったんです。何の役にも立てない自分がすごく情けなくて、もっと勉強したいなと思って、福祉分野に就職しました。

―なるほど~。その時の悔しい思いが、今のご活躍に繋がっているんですね。
―その男の子との出来事で印象に残っていることは他にありますか?
僕が体調不良とかでサークルに参加できない時に、「いろんな人に噛みついてしまったり、大暴れしてしまって大変でした」って話を後から聞くと、その場にいたサークルのメンバーたちには申し訳なく思うんですけど、僕がいないと安心できないのかなとか思うと、嬉しくも感じるわけですよ。
―自分がいるときといないときで、その子の様子が違うんですね。
久しぶりに会うと、やっぱり見つけた瞬間に一目散に走って僕のところに向かってきてくれるんですね。それがすごく嬉しくて印象に残っています。

―何度でも会いに行きたくなってしまいますね。
その子の場合は血も繋がってないし、まだ出会って一年経つかどうかぐらいの関係なのに、ここまで自分のことを信頼してくれて、心を通わせてくれて。本当に当時の自分にとっても、心に響いた大きな出来事でした。
―卒業される時は大丈夫だったんですか?
大学のサークルなので何歳になっても一応行くことはできるんですけど、少しずつ後輩たちに託していきましたね。
―その後、交流は?
就職してからはまだ一回も会っていないんですよ。当時自分の勉強不足を痛感して、知識をもっとつけたくて今の仕事についたので、自分がもっと成長して自信を持てる状態で再会したいと思っているんですね。めちゃくちゃ会いたいんですけど、まだ会うことを躊躇してしまっている自分がいます。
―その子を大事に思っているからこそ、もらった恩を自分の成長で返したいということですね。やっぱり仲畑さん、誠実です!
実は昨日、僕の誕生日だったんですけど、その子の親がインスタグラムで「お久しぶりです」ってメッセージをくれたんです!「今年、会いませんか?」って。ずっと会いたいと思ってくださってたみたいなんですけど、当時はメールだったんで、メールアドレスも変わって自然と連絡手段がなくなっちゃっていたんです。すごいターニングポイントきたな、と思いました。
―連絡が途切れてしまっても、ご縁がある人とはやっぱりまた繋がれるものなんですね!
今年再会できそうなので、再会したらお互いどう感じるかなって、すごく楽しみができました。16年ぶりぐらいですね。
―大学卒業後は、お仕事をしながら福祉の勉強をされたと思うんですけど、振り返ってこうした方がよかったなと思うことはありますか?なにも知らない状態の方が素直にお互い心に届く場合もあると思うんですけど、今どう感じられますか?
そう言われると、確かにある意味接し方としては変わらないかもしれないです。食事やトイレ等の場面での支援的な知識は身につきましたけど、その子が求めていたのってそこじゃないなって気がしますね。ご両親に対してお伝えできることは確かに増えたかもしれないですけど、子どもたちとの関わりとしては、当時と変わらないかもしれないし、むしろ変わらない関わりをしたいなって思いますね。
―当時の純粋な気持ちのまま、関わりたい?
そう、純粋に僕も真っ直ぐ、1人の人として、彼と思い切り楽しみたいなっていう気持ちが大きいですね。
―もちろん勉強はした方がいいとは思うんですけど、たとえ知識がなくても、障がいをもった方達に私たちができる支援はたくさんありそうだなと感じますね。
そうですね。

