災害救援や被災者支援を中心に活動する認定NPO法人レスキューストックヤードの事務局長を務める浜田ゆう(はまだゆう)さん。その肩書きとテキパキとした仕事ぶりとは裏腹に、「自分が役に立てることがあれば」と控えめに話します。仕事と趣味とを上手に切り替え、考え方で自分の生き方をコントロールするような、人生を楽しく生きるヒントを教えてもらいました。

インタビュアー:miho、なる美
撮影:岩田

主婦と主夫

―自己紹介をお願いします。

浜田ゆうと申します。年齢は58歳。今年*もう一つ歳を取ります。レスキューストックヤード(認定特定非営利活動法人:以下略称レスキュー)という法人で働いています。夫と娘が一人いますが、今は一人暮らしをしています。娘は社会人になって独立して、夫は単身赴任中です。
*取材日時:2024年2月09日

―パートナーさんはパリにいらっしゃるんですよね。

そうそう。もう今年帰ってきます。

―そうなんですね!

ドキドキなんですけどね(笑)。5年も一緒にいなかったから生活ペースとか合うかな?と思っています。

―5年ですか。自分のペースで慣れてしまいますね。

お互いにですけどね。新鮮な部分もあるかもしれないけど、“う〜ん”っていう部分もあるかもしれないです(笑)。でも、どちらかと言うとお得というか、ご飯を作ってもらえると思うので嬉しいです。

―ご飯を作ってくれるんですね!

はい。今の職場(レスキュー)に勤め出してから、私の帰りが遅いのでずっと作ってくれていました。

―素敵です!

最初は、スーパーで「閉店間際だから安売りだったよ!お刺身が半額!」とか言って買ってきて、あとはご飯を炊けばいいだけ、というありがちなお父さんメニューだったんですけど…。

―お父さんメニュー(笑)。

そこからバーベキューが好きだからやると言って、段々メニューが増えていきました。ちょうどその頃クックパッドが世の中に出てきて、手元にある材料で作れるものを検索できるようになったんですね。料理本だと自分でメニューを探さないといけなかったけれど、クックパッドだと作りたい材料を入れると“パッ”とレシピが出てくるから使いやすくて、色々と作ってくれるようになりました。作ってもらったら、「美味しいね」と感想を伝えて食べることを心がけています。

フランスのシャモニーにてご主人と浜田さん 

―感想、大事ですね。

そしたら今度は、私が帰ってすぐに出来立てを食べられるように、「何時に会社を出るか教えてね」と言ってくれて。立場が逆転して“主夫”になってくれていました。

―素敵なご夫婦…!それがまた始まるかもしれないのですね。浜田さんと一緒にレスキューでお仕事をして感じますが、5年前と比べて、浜田さんの帰宅時間が変わっていそうなので、果たしてその時間に帰れるのか…と(笑)。(なる美)

そう(笑)。時間の変化だけではなくて、5年前は帰る前にちょっと食べても、家に帰って「美味しいね」って食べられたんですよ。今はあまり食べられなくなったので、空腹のままで家に帰るのか、もし帰るまで我慢できずに食べちゃった場合は「えー、折角作ったのに…。」ってなっちゃうから、そういうのどうしようかなと考えています(笑)。

―世の中のママ達がよく知ってる気持ちですね(笑)。

気持ちわかるから、自分はそういうことやりたくないですよね。

―そうやって、気を遣う場面も出てきそうですね。

あとは、いつリタイア(退職)するのか。そもそもリタイアできるのかなって。60歳が近づいてきたので、同窓会とかに行くと、同期の人は早期退職だとか、60歳になったらもう辞めて別のことをするんだ、とかいう話が出るんですね。でも「定年だから辞めます」とか、レスキューでは考えられないかなぁ…。

―そうなんですね。

例えば無理矢理辞めたとしても、「自分は何をするんだろう」という気持ちもあります。一昔前の、おじさんたちが定年退職してすることがなくて、1日中家にいて奥さんに煙たがられるみたいな、そうなりそうだからどうしようと思って。少し怖いです(笑)。

―煙たがられる…(笑)。ご主人は帰国後にまたお仕事されるんですか?

「多分リタイアする」と言っていますね。でも夫は日曜大工や工作が好きだから、昼間家にいてもテーブルを作ったりとかお皿やボールを削ったりとか、時間が経つのを忘れちゃうような趣味があるんですよ。

―ご主人も多趣味ですね!

防災減災、災害救援、ウクライナ…そこに困っている人がいるから。

―今の浜田さんのお仕事について教えてください。

レスキューストックヤードは、災害救援をやっているNPO法人で、私は事務局長として働いています。防災減災に関する活動や、1月に発生した能登半島地震の災害救援・復興支援等をしています。現地へは、浦野愛さんという方が中心となって行ってくれていて、私は後方支援をする役割です。それから、なる美さんと一緒にウクライナからの避難者を支援する仕事もしています。

―能登半島地震が発生して約1カ月が経ちますが、とても忙しそうな印象です…!

災害は非常事態なので、被災地でのお仕事は臨時的ですが、通常業務もあるんですよね。被災地に行くだけでは収入にならないので、職員の給料を払っていくためには、通常業務が必要なんです。代表的な事業として、防災関連の講座とかをやっているんですが、その事業を止めないようにしなくてはいけないんですね。

―講座なども併行してやっているんですね

そうなんです。被災地へ支援に行ってしまった人たちの通常業務をどう動かしていくかが、今は大変ですね。

―災害救援以外の業務が忙しいというのは意外でした。レスキューでは他にはどんなことをされているのでしょうか?

元々レスキューは阪神淡路大震災の時に、代表の栗田さんがボランティアで神戸に入って活動して、それを仕事にするべきだと思って法人化したところから始まっているんです。

RSYのブースで震災について伝えている浜田さん

―阪神淡路大震災は1995年ですので、約30年の歴史があるんですね。

東日本大震災の時も大きな災害だったので、現地に常駐スタッフを派遣していました。一方で愛知県に避難してきた被災者の方たちの支援もやっていて、それはなる美さんも関わってくれたんですけど、もう10年程続けていますね。

―現地に派遣するだけではなく、被災者を受け入れるという支援もしているんですね。

そうですね。でも、支援の仕方は時代と共に何度も変化がありました。特にコロナ禍では、これまで全国の被災地へどこでも飛び回っていたのが、行けなくなってしまって。「県外移動はもちろん、不要不急の外出はするな」、「旅行はダメだ」みたいに言われていましたよね。「ボランティアって旅行じゃないか」というステレオタイプな差別もあったりして…。

―うーん、難しい問題ですね…。

その時に熊本の人吉市で、大きな水害があったんですけど、“行かない”という判断をしています。NPOの中には「被災して困ってる人がいるんだから」と言って、現地に行った団体もありますが、皆さんも判断に困っただろうと思います。代表の栗田さんは、私たちが被災地へ行くことで、受け入れてくれた地域の人たちが他の地域から白い目で見られたり、万が一うちのスタッフが発症してしまったら、逆に迷惑をかけてしまうと考えてやめたんです。その時はまだコロナがどういう状況でかかるのかも分からなかったですしね。

―“受け入れてくれた地域”の方を思っての判断だったんですね。本当に、難しい時期でしたよね。

その経験から、自分たちの動き方を変えざるを得ないとなったときに、名古屋や愛知の中で完結できるお互いが補い合える関係を作らなければいけないことに気付きました。

―自分の地域に目を向けたんですね。

防災関連の団体だけではなくて、他のNPOや、NPOでない団体とも“繋がろう”と言って、zoomのオンラインで“おたがいさま会議”というのを始めたんです。毎週やっていました。

―名前がいいですね!日頃から地域やコミュニティの繋がりを強化しておこうということですね。

例えば、外国人や不登校の子どもたち、高齢者を支援している方たちなど、様々な繋がりができて、それまではあまり付き合いがなかった分野の方達とも関係が深まりました。

―団体同士が繋がることで、問題解決に繋がる事例もありそうですね。

そんな中ウクライナへの侵攻があって、ウクライナから日本に避難している人が増えているらしいという話になりました。ウクライナ人のNPO法人が名古屋にあるけど、“生活を立て直す”ことに関しては知らない事も多いから困っているという話も聞こえてきました。なる美さん、いち早く動いていましたよね。

―そうですね。ちょうど、侵攻直後の2022年3月11日に、東日本大震災の追悼式会場で愛知県被災者支援センターで共に働いていた向井さんに再会したことがきっかけでした。(なる美)

その後、レスキューの事務所の1室をNPO法人日本ウクライナ文化協会に使ってもらうようにして、本格的に支援が始まりましたね。

―“おたがいさま会議”の流れと、様々なことが重なったんですね。

そうなんです。だから、阪神淡路大震災の頃からレスキューの活動をしている方からすると、突然ウクライナの支援に乗り出したと、すごく突飛な感じがしたと思うんです。でも、中にいるスタッフとか、私もなる美さんもそうですけど、全然違う分野に進出したという感覚はないんですね。困っている人達がそこにいて、「自分たちにできることがありそうだ」という思いから行動しています。東日本大震災後に避難してきた人達を支援した経験が生かせるかもしれないと思って、「何ができるか探ろう」と支援に乗り出しただけなんです。

―なるほど。一見幅広い活動のように感じますが、根本の思いは変わっていないんですね。

社会に助けられる時期と社会貢献する時期

―レスキューに入ったのは、いつですか?

2012年です。最初は1事業の担当者だったんですけどね。その前は専業主婦です。

―そうなんですね!

その前は駐在員の妻で、3年間アメリカに行っていました。ビザの関係で仕事ができなかったから、お金も稼いでいなかったし。

―専業主婦だったのに、働き始めて徐々に引き込まれていき、今や事務局長なんですね…!人生分からないものですね!

そうですね。でも、私の中ではそれまでの人生も、そういう切り替えが交互に来ている感覚です。インプットする期間とアウトプットする期間が交互にあるような。

―インプットとアウトプットが交互にとは?

社会人になって6年くらいは普通のOLでした。今まで勉強して培ったものを社会に貢献するので、アウトプットの時期だったと考えています。その後、夫の仕事の関係でイギリスに行くことになったので退職して、子どもができたタイミングで、4~5年は家にこもって社会に助けられる側、つまりインプットの時期だったんですよね。

―なるほど。

帰国して子どもが年少になった頃、イギリスにいた経験を生かして「英語を教えようかな」と思ってECCの英語の先生になって、またアウトプットする、社会貢献する立場になって。でもまたその後、夫の転勤で東京に行くと、住んでいた社宅ではECCの教室ができなかったこともあり、仕方がないので、その時はインプットする期間と思って過ごしていました。

イギリスにて
イギリス時代のご主人と浜田さん
イギリスにて
イギリス時代、ご主人の研究室のレセプションにて

―ほんとだ。定期的に切り替わるんですね!

その後また愛知県日進市に戻ってきたのですが、その時に突然、「日進市内の小学校の図書室に専任のパートタイムの人を置く仕組みができるけど、採用面接を受けてみない?」って誘われて。司書の資格とかなかったんですけど、「資格は必須ではない」と言われたので面接を受けました。

―そういう仕事もあるんですね~。でも英語の先生もされていたし適任ですね。

そしたら採用されたので、子ども達には「先生~!」とか言われて、「先生じゃないけどな」とか思いながら(笑)、図書室の先生になりました。3年くらいやったら、また夫が海外転勤になっちゃって。アメリカでは専業主婦で家にこもって、受ける側になっていました。

―ご主人の転勤に合わせつつ、生活スタイルを変えてきたんですね。

そういう感じで、今までは3年や5年くらいのサイクルだったんです。でもレスキューに来てからは、10年以上もずーっとアウトプットしているんですね(笑)。

―ずーっとアウトプット…(笑)。

振り返るとインプットの期間は良い充電期間かなと思っています。今はそのサイクルがなぜかアウトプットばかりで大丈夫かなってちょっと心配なんですけど。でも止められないという感じです。大人になってからの歴史は、そんな感じですね。

―レスキューに入ったきっかけは、何だったんですか?

図書館の仕事の間に、司書の資格を取っていたので、どこか図書館で働けないかと思って探していたんですけど、枠が少なくてなかなか採用に至らなかったんですね。東日本大震災後に、レスキューで数回ボランティアをしていたこともあって、「レスキューストックヤードでスタッフを募集してるよ」と言われて。ちょうど履歴書も用意があるし、「出すか。」というかんじで出して(笑)。

―「履歴書あるから出すか」って?(笑)。

そう。本当は司書の仕事を探していたからね(笑)。でも、チャンスがあるなら出してみようかなと思って出したら、面接後に採用が決まって、「いつでもいいから来てください」ってなっちゃいましたね。でも専業主婦だったので、「リハビリも兼ねて週3でお願いします」ってパートタイムからスタートしました。

―そうだったんですね!今はフルタイムですか?

今はフルタイムです。

―“フルフルタイム”くらい働いている印象です(笑)。仕事の幅も本当に広くて、現場から経理まで色々やっていますよね。委託や助成金の関係で、出所の違う資金の管理も煩雑そうで…私ならパニックです。会計担当さんがいない時もありますし、浜田さん、なんでそんなにちゃんと管理できるんだろうと不思議に思っています。(なる美)

そう、たまに会計担当いないですね(笑)。もし今このタイミング*で会計担当がいなかったらもうパンクしていましたね。
*2024年1月の能登半島地震後の2月にインタビューしました。

―今、いらっしゃってよかったですね…!

はい。今、大変ありがたいことに寄付を頂くことも多いんですけど、ゆうちょや銀行に皆さんが寄付してくださった分も、一枚一枚住所と名前を確認して領収書を作らないといけないんです。そういう寄付関連の仕事も大量に発生していますね。

―レスキューは全国的に有名なNPOですし、特に震災後はすごい件数の寄付なんじゃないかと想像できます…!

有り難いし、嬉しいことです。ただ、会計担当がいなかったら本当にパンクしていました。

―そうですよね。現地にも行きつつ、本業もあるとなると、もう私にはキャパオーバーです…!

「今は見ないことにしよう」という案件もありますけどね…(笑)。

―すごく高い処理能力を感じます…!

たまに間違えてますけど…(笑)。

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