エンジンがかかる時もあるし、ススーッと端に行くことも・・・
ー岩田さん自身が、中心や先頭にいるタイプではないとはいえ、映画や動画制作の監督をする点では引っ張らないといけない部分も多いですよね。
その通りですね(笑)。なので、「監督や映画制作などをするまではそうでした」と言うのが正しいですね。
ーこれまでは集団の中心や先頭にいなかったけど、変わってきたということですね。
自分でも驚いているんですが、意外とちゃんとできるし、居心地が悪いわけではないんです。決して無理して関わっているわけではないですし、役割や為すべきことがある時にはエンジンがかかるということがわかりました。監督をしている自分は、アドレナリンが出ていますし、「いきいきしているな」と思いますね。
ーそうなんですね!
監督という仕事を通して新たな自分に気づき、それが育まれていて10年ほど経ち、今の自分がいます。なので、今の自分が好きですね。まあ、役割がない時にはすぐに「もういいかな」と思って端っこの方にススーッと行くんですけど。
ーなんとなく、そんな岩田さんを想像できる気がします・・・(笑)。他に、映画制作を通して変わったことはありますか?
本当に色々ありますが、やはりコミュニケーションに関することですね。2019年から2020年にかけて、大府市制50周年記念事業として『スイッチバック』という作品の監督をつとめました。ある程度予算をいただき、その地域やそこに住む人を題材にしなければいけないのですが、当時僕は大府市についてほとんど何も知らなかったので、現地の人とたくさん話をしました。
ーなるほど。役者さんも大府の方だったんですか?
出演は地元の子どもたちで、外国にルーツのある中学生など、様々な子どもたちがいました。役者経験は一切なく、役者を目指しているわけでもない子たちだったので、演技指導も行いました。
ー役者を目指している子どもたちじゃないんですね!それで映画に出演とは、驚きです。
そういう子どもたちも含め、これまで全く接点のなかった色んな人と関わることで、自分自身の変化を感じましたし、相手にも影響を与えていると感じましたね。取材や聞き込みを行う際には、相手側が不快に思わないように自分の姿勢や聞き方についても結構こだわっていましたね。「欲しいものを欲しがる」みたいなのではなく、丁寧にコミュニケーションをとるようにしていました。繊細なことですから。
ー確かに、繊細なことですよね。相手に与えた影響で印象的なものはありますか?
スイッチバックに出演してくれた中学生には、何かしらの影響を与えられたかなと思います。というのも、中学生の時に関わる大人って両親や学校、塾の先生くらいじゃないですか。僕たちのような映画制作関係者って普段関わることもないですし、14歳からしたら「何しているかわからない」という印象が強かったと思うんですよね。これまで知らなかった大人との出会いが、「こんな生き方している人もいるんだ」という気づきを与えられたのではないかな、と思っています。
ーかっこいいですね。中学生にとって、岩田さんたちとの関わりは新鮮だったんだろうと想像できます。
ありがとうございます。また、せっかく出演するのだから、この撮影を成長できる機会にしてもらいたいなと思っていました。なので、ただ単にやさしく振る舞うだけではなく、それぞれの変化や成長度合いに合わせた演出を意識していましたね。
『スイッチバック』出演の中学生は本名。生い立ちもほぼリアル。
ー『スイッチバック』の制作にあたって、こだわっていたことはありますか?
大府市民や場所を題材にする作品だったので、まず考えたのは「どこからどこまでが市民なのか?」ということでした。
ーなかなか難しい問いですね・・・
そこから、その基準に合う30名ほどに話を伺いました。聞き込みを重視しないやり方の監督もいますが、僕は聞きたいタイプです。聞けば聞くほど、どうまとめようかと悩んでしまうんですけどね。ただ、僕の作風はまとまっていないことが多いので、まとまってないかもしれませんが。
ーそういうところに、監督の個性があるんですね。
あと、なるべく嘘を付きたくないので、きちんと現場の人の照準に合わせることを大切にしています。また、大府市にあった飛行場も題材にすることに決めていたので、市役所の方に手伝ってもらいながら当時飛行場付近に住んでいたであろう市民の方にも話を聞きました。
ーおお。大府市に飛行場があったんですね。
はい、終戦の約1年前に現・大府市と東海市をまたぐ形で竣工された飛行場です。各地の工場で作られた飛行機の主要部品を集めて組み立てる最終の工場で、組み立てられた戦闘機の試験飛行をして、軍へ引き渡す役割を担っていたようですよ。

ー私、全然知りませんでした・・・
多くの方にお話を聞き取り入れていったので、『スイッチバック』はフィクションでありながらもかなりドキュメンタリーよりの映画となっています。中学生にも本名で出演してもらいましたし、生い立ちもリアルをそのまま採用しました。
ー生い立ちもリアルとはすごいですね!
また、自分なりに今社会で起こっている現実を積極的に取り組むことも意識したので、今回の作品では、外国人が「当たり前に」市内で生活しているという点をしっかり描きました。
ー「当たり前に生活している」がポイントなんですね。
実際に、大府市に住む外国籍の中学生にも出演してもらっています。外国人はじめ「マイノリティ」と言われる人たちは、被写体としては弱者と捉えられることが多いです。しかし、聞き込みをする中で、外国人の方々は皆人生を謳歌しており、とってもフレンドリーで楽しそうでエネルギーに溢れていることに気づきました。その現実を無理やりねじ曲げるのではなく自分が見て感じたものを写すよう心がけました。
ーなるほど。確かに、外国籍の方は「支援の対象者」という印象がありますが、そう思っている時点ですでに事実と異なるかもしれないと言うことですね。
弱者として描くことはすごく簡単かもしれませんが、僕が見た現実はそうではなかったので、「普通」に存在しているという点を訴えました。市制50周年ということで、50年前と人口比率含め比べると大きな変化があったことを、映画を通して感じていただきたいですね。
ー『スイッチバック』はじめ、手掛けられる作品を通して岩田さんが伝えたいテーマはありますか?
その時々で違うので難しいですね。23歳の時に書いていた長編のテーマは、「見えない死をどう描くか」でした。きっかけは、東日本大震災。数時間で行ける場所で信じられないことが起きているにも関わらず、メディアを介してだとリアリティを一切感じられないことにすごくモヤモヤしていたんです。そこで当時は、「感じられない死をどれだけ感じれるか」ということにフォーカスを当てていました。
ーなかなか壮大なテーマですね・・・
さまざまなテーマを扱っていますが、共通するのは「陽の当たらない人の物語」を作ることです。
ーおぉ。その他大勢に昔から興味があったとおっしゃっていましたね。
東京ではなく愛知で映画制作をしているのもその一つだと思います。愛知は東京に比べ人口はもちろん、規模はかなり小さいじゃないですか。でもあえて愛知で作るのであれば、「ここでしか撮れないものをとること」が使命だと思っていて、周辺の地域にスポットを当てることも多いですね。
ーそうなんですね。「ここでしか撮れないもの」を意識されているんですね。
ーちなみに、普段はどんなインプットを心がけられていますか?映画以外にも何かありますか?
映画はもちろん、批評や歴史、ジェンダー問題などジャンルは問わず色んな本を読んでいます。最近は忙しいので、買ってばかりで積読状態になっていますが(笑)。好きな小説はアメリカ人作家、ジョン・アーヴィングの『ガープの世界』です。これも群像劇で、ある家族の成り立ちとそれぞれが亡くなるまでの長い年月の物語です。日本の作家であれば村上龍の事実を淡々と記述していく鋭い文体にも影響されています。漫画や音楽、色んなカルチャーが好きなので、作品に影響されている部分も多くあります。

「自分をうまく使ってもらおう」自我をなくして広がった視野
ー続いて、岩田さんの働き方についてお聞きします。お仕事をする上で、大切にしている考え方はありますか?
全然直感で動くタイプではなく、どちらかというと「石橋を叩いてわたる」タイプの人間ですが、自分がやりたいこと以上に、自分が活躍できるかどうか、求められているかどうか、という判断軸を持って仕事しています。
ー自分が活躍できるか、求められているかがポイントなんですね。
はい。というのも、一昔前までは、自分が「やりたい」という軸で意思決定をしていましたが、今は「自分を使いたい人にうまく使ってもらおう」という考え方に変わったんです。なので、自分のことをうまく使ってくれそうな環境にアプローチするようになりました。
ー「使ってもらう」という考え方、おもしろいです。大きな変化ですね。
そうですね。例えば、福祉事業所の非常勤スタッフをしていた時期もありましたね。福祉と映像って結びつかないイメージですが、だからこそ自分がそこに近づけば「これできますか?」とお願いされることが増えるんじゃないかな、って。良い意味で自我をなくすようにしてから、自分自身の視野や可能性がグッと広がりました。
ー良い意味で自我をなくすって、簡単なことではないですよね。
自我をなくすことについて、一例として挙げられるのは、パチンコ屋さんでの撮影です。僕は普段パチンコをしませんし、騒音が苦手なんですよね。でも、自我をなくして3〜4時間撮影していると、「うるさくて、意識がおかしくなるな」とか「こんな文化なんだ」みたいな今まで知らなかった世界に踏み入れることができたんです。
ーおぉー、冷静に周りを見ている感じですね。
「リアルを感じるために」というところが大きいと思います。カメラマンの仕事って黒子みたいな感じで、存在を消すことが大事な場面が多くあります。
ー黒子ですか。確かに、カメラマンの存在感が大きいと、撮られている側に影響を与えそうですね。その分、幅広く仕事ができるということでしょうか?
最近、東京の超高層ビルで撮影した次の日に、岐阜の標高が高い農家さんのところに行って泥だらけになって撮影しましたね。いろんな環境との関わりで幅を感じることで、自分の立ち位置を理解できます。また、自分の意思では行かない場所に行くことで、自分の中でリアルな感覚が増え、良い作品作りにもつながると思っています。
ーなるほど。岩田さんの経験が作品に活きるんですね。